迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

寓話は世間とリンクする?!

今国会でのやりとりを見てて、思わず“北風と太陽”の話を思い出すオイラ。念のために言っておくが、コレはイソップ寓話のひとつで、街道を行く旅人の帽子と服を、どちらが先に脱がす事ができるかって話だ。確かに、北風は帽子を吹き飛ばす事ができたけど、服を脱がす事ができなかった。逆に太陽はその光と熱で帽子を脱がせなかったが、服を不がす事には成功している。つまり、学会流儀でいえば“仏法は摂受・折伏時によるべし”(by:佐渡御書)と同じ。TPOに合わせた方法で相手を攻めるべきであって、今のやり方では野党は政権交代どころか、却って国民が不審を抱いてしまうだけである。当然だが、今の政治に求められているのは、学会の悪を暴く事でも、麻生総理の“おバカ”を晒す事でもない。あんまりモタモタすると日本共産党が漁父の利を得て喜ぶだけで、国民は更に苦しむだけである。間違えてはいけないが、日本という国は民主主義と共産主義が上手く融合して成り立ってる摩訶不思議な国であって、それ故に中途半端であると同時に“アマい”のである。それを上手くバランソを取ってきたのが今までの自民党の会派であり、旧来の社会党だっただけの話である。

まあ、本来なら今日は“ヒデボー通信”の更新だが、昨日書き損ねたネタを先に吐き出させてもらう。本題は“政治”の話ではなく、こういった寓話や童話といわれるモンは、時を越えて様々な世間の動きとリンクしてるという事だ。それは何も、それだけじゃなく、宗教哲学もまた然りで、その事について日蓮は、“御書”を通じて法華経の“正しい読み方”を解説したまでに過ぎないのであって、それを文章だけで批判してしまってるのが、いわゆる学会批判を繰り返すマスコミや為政者であるという事だ。
つまり、寓話や哲学というのは、文章だけ読めば単なる“例題”なんだが、コレを今の情勢に当てはめて考える知恵と経験があると、その言葉の奥にある“真実”ってのが見えてくる。いってみれば、言葉を理解するのに必要な想像力と、その言葉の裏に隠された真実を見破り実践する勇気こそが、寓話や哲学を“読みこなす”事と同じなのである。コレがないばかりに世間の情報に振り回されたり、正しい判断だと思われる事例すら否定してしまう“へそ曲がり”になる訳である。
仏法上の寓話をひとつ。ある日、頭脳明晰な学者に、誤って狩猟用の毒矢が刺さった。近くにいた者達は矢を抜くのが先と言ったのにも関わらず、学者は毒の成分だの矢の素材等を知る方が大事と抜くのを拒んだが為に絶命した。つまりこの場合、学者の判断ミスが自らの命を落とす結果を生んだ訳だ。今の日本の政治は…否、国民そのものが、この学者と同じである。現時点でやるべき事は、購買意欲促進なのであって、安易な気持ちでの“政権交代”ではない。野党がやってる事は、結局は国民の多くをバカにしてる事であって、“百害あって一利無し”である。
ついでの話だからここで、“定額給付金”と“定率減税”の利点と欠点を書いておこう。まずは“定率減税”の方から。文字通りコレは、いわゆる住民税や固定資産税等の国や自治体が国民から直接徴収する“直接税”の部分での優遇措置だが、欠点としては、生活保護を受けている家庭や年金受給者で他の収入がない場合は、この還付は受けられない…つまり、消費税で値上がった食費や光熱費を賄うのがカツカツの生活者には、何の恩恵もないという事だ。逆にいえば、正規の会社員やパート従業員等は、翌年度の給与から差し引かれる税率が下がる分、毎月の給与が増えた様に勘違いするのがコレという訳だ。
で、与党が言ってる“定額給付金”ってのは、もらえる金額そのものは一律で、“高額納税者w”からすれば“雀の涙”である。が、生活保護年金生活者にとっては、消費税等の“間接税”で取られた分が(ほんの少しだが…)戻ってくるのと同じであり、宝くじでボーナス賞(全国くじなら賞金がデカいが、地方くじの場合は意外と安いw)を当てたのと同じ様なモンである。まして、国が国民に対して“緊急の生活援助”として配るモンだから、ありがたく受け取る方が賢いのであり、その先は自分達の勝手である。
でも、コレを反対してるモン達の正体は“アンチ学会”であって、国民生活なんて、これっぽっちも思っちゃいない。むしろ、富裕層だけが“国民”であって、最底辺にいるサラリーマン等の一般社会人は“奴隷”であるという考えである。間違っちゃいけないが、日本国籍を有しているモンで戸籍がそこに存在する以上、20歳以上の成人は、一部を除き(様々な刑事責任で刑務所に入ってる、あるいは裁判で欠格者と判断された場合等)選挙権はある。それを忘れて暴言を吐けば、結局は自分がバカを見るだけである。