迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

選挙結果でわかる事…

ふむ、解散総選挙が近いとあって、与野党問わずに地方自治の長を決める選挙で一喜一憂してる様ですな。ついこないだまでは民主党有利だった戦局が、西松建設による不当会計(選挙資金の迂回融資)で自・公連立与党に。そして森田健作が千葉県知事になった途端に、ここでも不正があっただどうだが響いて、徐々に厄介な方向…そう、社民・共産系候補に有利な展開になりつつある。(現実、今回の宝塚市長選は、そういう結果になっている。)つまり、麻生総理に期待が持てぬから“政権交代”を望む有権者が、小沢代表の態度に業を煮やして、日本共産党へシフトし始めている訳だ。ただ、冷静に考えて欲しいのだが、現行の共産主義とは、一過性…つまりその場限りの改革であって、未来へのビジョンがまったくない。故に、東欧の殆どの国が民主化した訳であり、“共産主義”を掲げているアジアの国々でも、経済特区などを設けて外貨を稼ぐのに必死になっている。要するに、“行き当たりばったり”な政策しか思いつかない連中がいる限りは、自民党民主党と同じぐらい(それ以上?)に“腐ってる”のが実情である。

まして共産主義は、何度も言ってるが“堕落・腐敗政治”の温床であり、役人・官僚、ひいては軍人(日本の場合は自衛官)だけが得する政治になりやすい。つまり、農漁業や工業は、そういった“役人どもの栄華”を支えるだけの存在でしかなく、それ故に異議を唱える者を弾圧するクセがつきやすい。言い方を変えれば、帝国主義と何ら変わりがない、“人間が存在しない政治”が蔓延しやすいのだ。違うのは、イエスマン(共産党員)だけでやるか、皇帝(国王)の独断かだ。
結局のトコ、支配者自身は自分の野望を邪魔されるのが嫌いであって、それ故にシロでもクロに変わる訳である。それは、民主主義だろうが共産主義だろうが、況や帝国主義であっても、住民(=国民)の意見をドコまで反映させられるかが正邪の判別材料になるのであり、そのために議会政治がある訳だ。が、コレが議員一人一人が勘違いして政をやってる様では、その国は滅亡も早い。
日本において、普通の感覚では核配備なんで望んじゃいないし、戦争を美化する感覚はキモい。しかし、先の戦争…太平洋戦争で無理矢理出兵させられた挙げ句、戦地で亡くなられた学生や、復員後も諸般の事情(国籍が朝鮮や中国籍だったり、現地採用だったりなど)で恩恵を受けられないまま放置されている人達がいるのも事実。まして実動隊で最前線へ送られた人々は、その殆どが未だに亡骸すら故郷に帰れていない。こういう“犠牲者”に対して哀悼の意をも示さない様な連中が、カッコつけて戦争を語って欲しくない。そして、英霊に対して唾を吐く事を強要した為政者は、愚か者以外の何者でもない。
話が逸れたが、つまりは、エエ加減な気持ちで国の行く末を決めて欲しくない。それが若者の意見であり、率直な気持ちである。がゆえに、敢えて選挙に参加しない若者がいる。つまり、今の政治家に失望してるのだ。選挙の話をする前に、まずは世間を自分自身の感覚で察してもらいたい。有権者で投票に行くのが60歳以上が多いのは、現役の政治家と同世代で、しかも学生運動でドタバタした連中が、やっと自分達の番だからと、はしゃいでるだけに過ぎない。45歳未満の有権者が、政局の幼稚さにシラケるのもムリはない。
新名神の事もそうだが、インフラ整備で重要なのは、現状の改善と遠い未来において新たな活用形に対応する準備である。“今で十分”という意見を唱える者は、現状を見ていない証拠であり、将来性のビジョンを何も提示できてない。しかし、過剰な開発は、却ってインフラ整備の概念から外れる。そこのバランスを考えれば、既成路線の鉄道に新駅を設けても、利用客が見込めないなら作らない方がマシだし、高速道も通過する自治体に利益が還元されるモンでなければ、整備する必要性もない。つまり、“将来性”を問うているのに最初から“必要ない”と言えば、論議は空転して当たり前である。
忘れてはいけないが、開発をムダだと唱える者は、それに対する“代案”を提示して論議に臨まなければいけないし、安易に反対意見を無視するのは、却って計画そのものが失敗する。ぶっちゃけ、住民のために何をすべきかをとっとと決められない様な連中が、選挙のために大事な法案を安易に決める様では、政治不信から自界叛逆難(この場合、在日外国人のよるテロを除く)へ移行してもおかしくない。つまり、自分達自身が、民に対してエエ加減だから招いた災難である。民主主義である以上、それは住民も“連帯責任”を負うハメになる。そうならない為にも、今一度、与野党関係無く、政治家は襟を正すべきである。