迷馬の隠れ家 はてな本館

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古のAA…“文字曼荼羅”ってナニ?

学会員が“御本尊”の事をこういう風に紹介するのもなんだが…ま、宗教芸術というカテゴリーがある以上、そこの範疇での話という事でw
通常、“曼荼羅(まんだら)”と聞くと、真言密教系の寺院にある、極彩色豊かな絵を思い浮かべる人も多いかと思う。ま、確かにアレもそうなんだが、“曼荼羅”というのは仏教における最重要な儀式、須弥山(しゅみせん:古代インドにおける霊峰)で行われた“虚空会(こくうえ)の儀式”を、文字が読めない信徒でもわかりやすい様に図式化したモノであり、コレを立体化したヤツが多宝塔様式の墓石であったり、木板で形を模したのが卒塔婆(そとば)だったりする訳である。つまり、絵面そのものが多宝塔の内部の様子を描いていて、そこで教典を繙きながら法話をする事で、信徒にも世界観を理解してもらうために使われていたのが“曼荼羅”って訳だ。だから、コレ自身そのものは、形式にこだわらないなら、どういう方法で表現しても問題ない訳で、ファンキーなイメージで描こうが、マンガチックなモンになっても、偶像崇拝にはならない。つまり、“御本尊”として宗教的な儀式に用いない限りは、単なるファッションとして扱っても、そこは問題ないのだw(でなきゃ、学問としての“宗教美術”が成立しないってw)

で、ちょっと気になる方も多いだろうが、創価学会が用いている“御本尊”は、実は現代風にいえば、パソコン…というかインターネットでは定番中の定番である、AA(アスキーアート)の“曼荼羅”を使っている。正確にいえば、日蓮が書いた“文字曼荼羅”ってヤツだ。現在、学会が各所帯に授与しているヤツは、江戸時代に作られた写しで、(原本は日顕宗が持ってるため)アンチ日顕宗僧侶達によって保管されてたヤツを、コピーしてる訳である。とはいえ、当時の法主大石寺をなんとか復興させようと奮闘してた時に作ったヤツなんで、全然問題はないんだが…w
休話閑題。何度も言うが日蓮は、平安末期から続く仏教寺院の“権威主義”を嫌った“ロックンローラー”な性格だったから、真言宗の“極彩色曼荼羅”や、浄土宗等の“仏像崇拝”に異を唱えていた訳である。しかし、勤行・唱題を行うにも、そのままだとなかなか他の神仏の意味が分かりにくい。そこで、考えついたのが、文字による虚空会の曼荼羅を表記する手段だった訳である。ぶっちゃけた話、絵師や坊主の主観で描いた神仏よりも、信徒一人一人が思い描く神仏を具現化しやすい様に、ワザと文字にしたと考えると、いかにも日蓮らしいアイデアである。つまり、固定概念を一切排し、それぞれが思う成仏の姿を、想像できる様にしたのが、文字曼荼羅だという訳だ。こうすれば、場所も取らないし、“御本尊”を持ち運ぶのもラクだし、経年劣化で文字が擦れたりしても、使う塗料(てか、絵じゃないから)が墨だけで済む。まさに“清貧”だったからこそ、信徒の金銭的負担を軽減し、無駄な装飾を排して純粋な信仰心だけを尊んだ、日蓮らしいスタイルなのだ。
だけど、その精神が途中で明後日の方向に行っちゃったモンだから、日蓮系宗教団体がいくつもできた訳で、その中には他の天台系と同じ様なスタイルの団体(身延系)もできた訳であり、日顕宗みたいな“表向きだけ清貧”という信徒を喰い物にしたトコもあったという訳である。ま、それ故に、いくつかのミステリー小説や推理小説の中で、怪しい宗教団体呼ばわりされてきた訳で…w