迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

アメリカ経済の終焉…そして変革の時。

現在、ラジオ『新・人間革命』は、第15巻“蘇生”のくだりを放送中。その中に、“革命とは死を意味する”云々の話があった。寝ぼけて聞いているんで内容はあやふやな記憶なんだが、要するに、生命観の“死”ではなく、幼い自分…というか、既成概念等に囚われた過去の自分との“決別”を意味してると捉えれば、話としてはわかりやすいと思う。ま、ぶっちゃけた話、使命を全うするために自分の命を投げ出す覚悟は立派でも、だからといって自決をもって“哲学に殉ずる”という考えは、バカを通り超えて何の救済にもならない。つまり、苦難を乗り越える時の犠牲はあっても、それ故に自分を見捨てる様では、単なるナルシストであって、強欲の果ての結末としか受け取られない。

で、ここからが本題。アメリカの“ビッグ3”といわれた自動車メーカーのGMが、つい先日事実上の“倒産”をした訳だが、栄枯盛衰の理からいえば、当然の結果であろう。世界のトップ企業といえど、まして、アメリカを代表する大手といっても、所詮は自動車メーカーであって、他の自動車メーカーが“エコカー”へシフトしているのにも関わらず、そっち方面の開発をおざなりにしてきたツケが、サブプライム問題でギクシャクしてきた経済の動きで表面化しただけに過ぎない。つまり、本業を疎かにして、金融先物取引や強引なTOB等をやりまくったから、本業までダメになっただけであり、ゼロからやり直すつもりであれば、少々強引でも2年掛からずに復興するだろう。が、ブランドや過去の栄華に縋り付いて再建をするつもりなら、残念ながらアメリカという国そのものを潰す“害虫”になりかねない。つまり、真の意味での“革命”とは、旧来から続く悪癖を粛正する事であると同時に、新しい試みに対して尻込みしてはいけないという事だ。言い方を変えれば、名前は引き継いでも、単純に引き継ぐのではなく、常に“新しい変化”をやり続ける事こそ本当の“伝統”であって、過去の栄光は単なる“足枷”にしか過ぎない。ここに、真の意味での“生死血脈”の大事があると考えていい。
“終わりの始まり”なんてヌカす経済ジャーナリストが多い様だが、それは自分達が“現場”にいないから言える話であって、細かい部分を見ていくと、いくつものチャンスを潰された形跡が見つかるハズである。つまり、可能性を潰した人間が、そこに立ち返ってやり直そうとすれば、相当な“痛み”が生じるハズだ。が、それをやる勇気こそ、実は経済復興の“鍵”なのだ。場合によっては、既存の取引先から相当な恨みを買う事になるだろうが、それでもやる価値だけはある。むしろ、公正な取引を阻害してたのは、“古い付き合いだから…”という慢心だったりする。そこを見つめ直すチャンスが、今やっと訪れただけの話。つまり、本当の意味での“公正な取引”を行うには、歳月や付き合い等関係ないと割り切れる態度であって、“良いモノは良い”とはっきり言える目利きが重要である。当然だが、売り込む側もこれから先は、同じスタートラインで勝負できる環境へシフトしていく訳だから、新参者だとか古参だとかは関係ない。待ったなしの勝負ができる事を喜ばないといけないのだ。
“信頼関係”と成立させる最大のコツは、一度でも相談に乗った相手には、最後まで誠意を持って付き合う事と、善悪を包み隠さず本人に言い切る度胸である。期待を裏切った時、どんな懲罰をも受ける覚悟がある者は、最後は相手を納得させる事もできる。でも、最初から騙す様なバカは、結果として多くの人々に迷惑をかけ、それ故に自滅する。公害でもそうだが、利己主義で周りが見えない者程、自らの首を絞めている事に気付かない。それは、過去の日本も、現在の北朝鮮も同じ。最後は多くの国民を“裏切る”結果しか残せない。GMにしろ、クライスラーにしろ、アメリカの企業として、その見極めを誤ってしまったから、アメリカの経済がドン底になり、それが世界を駆け巡ってるだけの話だ。