迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

My favorite announcer vol.55

“GQ夏祭りw”真っ最中だが、今月もサボらずこのネタの更新ですw
もうすぐ天神祭ですし、毎年懲りずに(飽きずに?)中継をやっているTVOテレビ大阪に敬意を表し、今月は久々にココのアナにまつわる話です。っと言っても、彼自身は去年の春に一線を退き、現在は別部署に異勤となったのだが、在籍当初から…否、開局間もない頃からマイクを握っていた唯一の存在でした。そしてそれは、“最後の生え抜き”ともいえる存在でした。結樹アナが引き継ぐまで、TVOのアナ達をまとめていた総大将、千年屋(ちとせや)俊幸アナの話です。彼の物語は常に、TVOの歴史と同じと言っても過言じゃないと思います。では、TVOの開局時を思い出しながら…

一見、関西弁を喋っている様に聞こえるが、実は岡山県総社市出身。大学時代の就活で、たまたま見つけたのが開局準備を進めているTVOの人員募集の告知だった。当時はまだ、テレ東系の番組は基本的に、腸捻転ネットや諸般の絡みでABCとMBS、そして一部は関西独立U局での放送だった。しかし、テレ東としてはなんとしてでも、関西での系列局が欲しかった。そこで眼をつけたのが、大阪での“独立系U局”の割当チャンネルであった“19ch”という訳である。コレが後々、“広域放送への格上げ”という問題の足枷になる訳であり、他の関西独立系U局に多大な迷惑をかける混乱の元となる訳なんだが…だけど、今まで系列局を持たなかったテレ東には、ある種の焦りもあったのは確かで、今まで名乗ってきた“東京12チャンネル”という局名からの変更と、出遅れながらも日経系の放送局網の拡大は、他の系列局に負けない番組を世に送り出すためには必要な事だった。だから、開局早々から使える社員の募集に余念がなかったのである。
休話閑題、放送局のアナになりたいから…というより、とりあえず面白そうなトコだからというのが本音だと思うのだが、開局準備真っ直中のTVOの扉を叩く事となる。そして、開局とほぼ同時に入社する事となる。御存知の通り、日経系の放送局は、入社1年目の時にはもっぱら“報道記者”としての取材行脚に追われ、2年目以降にならないとマイクの前に座る事すらできないのが“お約束”である。そのため、彼のデビューは2年目の春改編と相成った訳である。この時に、面白い番組の“天の声”をやる様になる。それは不定期ながら、ほぼ火曜日の夜にやっていた“西川きよしの大阪探検”という番組。この番組は常に、テレ東系のワイド番組(主にスポーツ中継)がすっぽ抜ける時間帯に、とりあえずローカルで面白そうな情報番組を作ろうとしてできたテスト番組的なモンで、初期の頃は関西人にしかわからない様なネタばっかりやっていた記憶がある。後に、この番組は毎週火曜日放送のレギュラー化がする訳だが、オイラ的にはこの不定期放送時の方が好きだった。
この辺りらへんから、他局との交流が盛んとなる。そう、いわゆる“あどラン交流”ってヤツ。丁度時代は“オジアナ隆盛期”に突入した、80年代後半。そのきっかけとなったのが、一昨年まで10月にやっていた御堂筋パレードの“各局リレー中継”である。そもそもは、大阪城開城400年祭の一環として、大阪府大阪市、そして関西の企業が発起人となった大阪21世紀協会主催のパレードで、国道(25号線…そう、“あそこ”に続いている道w)でもあるメインストリートの御堂筋を、ほぼ昼間全面封鎖した上での大パレードをやろうという事になった訳である。コレを中継するにあたって、様々な問題があった訳である。というのも、真っ昼間にNHK大阪放送局だけで中継するにしても、持ち出せるカメラの台数に制限もあるし、中継車だって総動員する訳にもいかない。しかもローカル枠は1時間が限度…そこで大阪の民放各局がそれぞれ中継する時間枠を決めて、それをリレー形式で放送しようという試みが意見として出たのである。で、それを実践するにあたって、TVOはついでだから…という訳でもないんだが、自分トコの枠での放送を、テレ東系全局で放送する事となる訳である。そして、このレポーター役として、彼は登場する事となる。後にその役目は、長崎放送から移籍してきた結樹アナに引き継がれる訳なんだが…。
東京キー局でも“二強二弱、一番外地”と揶揄されるテレ東だが、それは関西でも同じで、しかもローカル番組枠が極端に少ないTVOにとって、アナ達の活路はなかなかないのが現実だった。そこで苦肉の案として思いついたのが、数少ないローカル枠で、しかもスポンサーがつきやすいコンテンツとして、スポーツ中継…特にモータースポーツやマイナー系に焦点を合わせた。コレが後に、CS放送局(J-Sports)への配給用の実況を引き受けるきっかけとなる。更に、視聴率がいいのと、“トラキチ御用達放送局”のSUN-TV&ABC連合軍(苦笑)では中継できない地域(特にナゴヤドーム)でのプロ野球中継に眼をつけ、コレを実況する様になった訳である。また、モータースポーツ中継…特にバイクレースはもっぱらTVOの“独壇場”であり、ここで実況アナとしての腕を磨く事となる。しかし、彼にとっての一番の不幸は、“植草貞夫のDNA”の存在。つまり、結樹アナとテレ東の朋樹アナという存在が、彼の活路を次々と奪っていく結果となっていった。無理もない、“偉大なる実況アナ”の息子達は、それ故に最初から注目される訳であり、しかも朋樹アナは元々の所属がRKB毎日放送だったモンだから、腕が立つ。そうなると、テレ東だと競馬中継がある分他のアナ達はなんとかなるが、独立系U局のKBS京都が競馬中継をやっている関西では、ますます居場所がなくなった訳である。だから…という訳じゃないにしても、年齢的な事やこれからのTVOの立場を考えた時、そして生え抜き社員である自分の居場所を求めた時、移籍組だらけのアナルームから身を引く事を考えたのだと、オイラは思っている。
ちょっとチャラけたイメージの声だったが、でも、伝えたい言葉をキチンと話せるアナだっただけに、引退したのはもったいない。それに、生え抜き社員のアナウンサーというのは、その放送局の柱である。それがいないTVOは、厳しい言い方をすれば、まるでテレ東の傀儡だ。もう一度、手作り感一杯の“楽しい放送局”に立ち戻ってもらいたいし、できれば広域放送局という肩書きよりも、地域密着型放送局というスタイルを貫いて欲しい。