迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

吉本と松竹の違いw〜新喜劇編〜

劇団創立60周年の松竹新喜劇が24日、50周年の吉本新喜劇の拠点・なんばグランド花月(NGK)を訪問。両劇団が垣根を越え、史上初めて舞台上での対面を果たした。
 松竹新喜劇の大スター、故・藤山寛美さんは21年前にNGKで観劇。その際、寛美さんを出迎えた落語家・月亭八方(61)と、寛美さんの娘で女優・藤山直美(50)が、橋渡し役を務め、両劇団の記念の年に大阪文化を盛り上げようと実現させた。
 吉本新喜劇座長の内場勝則(49)は「この場に居られてうれしい」と語ると、松竹新喜劇代表の渋谷天外(54)は「次の世代の両座員が対面できることを楽しみにしてます」とエールを交換。「来年は一緒に舞台に立っているかも」と、夢の合同公演プランもほのめかしていた。
(by:デイリースポーツ 8月25日付)
“新喜劇”というカテゴリーは、基本的に吉本興業NGK等でやっている“吉本新喜劇”と、松竹座等松竹芸能が管理する劇場でやっている“松竹新喜劇”の2種類がある。でも、同じ“新喜劇”という名称を使っていながら、その中身はまったくの別モノである。では、なんでこんなに違うのか?

それは、そもそものスタンスの違いが双方にある訳で、松竹は歌舞伎や文楽等の伝統演芸からの流れを汲む“舞台演劇”のひとつとして取り扱ってるからであり、吉本の場合、落語や漫才の延長線上にあるコントの類として取り扱っているからである。その証拠に、NGK吉本新喜劇が“単品”で公演される事は稀であり、その逆に松竹新喜劇は、単品で公演される事が多い。なぜなら、大衆演劇と漫才・コントを組み合わせた様な吉本に対して、松竹の場合はむしろ、内容やセットの組み合わせ等が歌舞伎に近いのだ。よく見るとわかるのだが、吉本新喜劇だと、ひとつのセットだけで物語が完結するのに対し、松竹新喜劇の場合、舞台構成が場面毎に変化し、そこで物語の時間経過が演出されるのである。
実はコレ、吉本と松竹では、その立ち上げの“歴史”そのものが別次元であって、さっきも書いたが松竹には歌舞伎や古典落語から原作を取って、そこから舞台用にアレンジした演出や構成が書き足されて、初めて“松竹新喜劇”となるのに対して、吉本の場合はリアルタイムで繰り広げられる人情喜劇が基本となる。そのため、同じ台本で演じられる事は稀であって、一定期間公演が終わると、すぐに新しい台本での舞台となる。故に、舞台上のアドリブで演じられるギャグはインパクトがあるものの、話の中身が“日常の風景”なので感情移入しやすいのが吉本新喜劇のウリであり、原作となる古典落語や歌舞伎、更には人形浄瑠璃等の内容が解ってないと、あんまし面白くないのが松竹新喜劇の“弱点”ともいえる。しかし、古典芸能に精通し、原作の話を理解した上で、どんな部分に“笑い”を入れるかを探り当てる“楽しさ”があるのが松竹新喜劇のウリであり、コレに慣れてると却って吉本新喜劇が安物っぽいモノに感じてしまう。
元々、松竹芸能そのものは歴史が古く、道頓堀にあった竹本座で近松門左衛門が脚本を書いた芝居が好評だったから、それを省略して“松竹”という名称になった。相対して吉本興業は昭和初期に立ち上げた芸能事務所であり、戦後になって多くの芸人にキタとミナミに演芸場としての“花月劇場”を設けた事によって規模が拡大したのである。更に、その勢力図を現在の様な状況に持ち込んだのが、メディアに対する戦略の違いである。ま、この話をすると本題からズレてしまうんで、後日に回すが…。