迷馬の隠れ家 はてな本館

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ヤクザにまつわる仮説論?!

最近、様々なイベントでのマナーレス行為が目立ちませんか?特に、スポーツ観戦でのマナーレスは、マスコミが注目する以上に酷くなってる様な気がします。それと、毎年恒例の成人の日も…実は、こういうイベントにおいて、マナーレスによるトラブルの頻発の裏には、そういった“儀礼”を仕切るヤクザの影響が薄まってしまったが故に、若者…てか、尻の青いガキが暴走するという問題点が噴出してる様に、オイラは思える訳で。てのも、そもそも“なんで、ヤクザが神社の境内等でやってる出店などを仕切ってるのか?”という疑問から始まっていて、その“存在意義”を考えた時に、ひとつの“仮説”が、オイラの頭の中で浮かんだのである。

それは、神社の氏子達による“自警団”の成れの果てが、ヤクザの“源流”ではないかという事だ。
よく、古い任侠映画などを見てると、大広間の奥に、古代の鏡を模したモノを祭壇に飾ってる画像が出てくる事がある。つまり、元々は氏子の中でも、腕っ節の良いガテン系が寄り集まって、寺院や社殿を不逞の輩から守って来た歴史があったと推測すると、遠方から来た巡礼客が、地元の者にからかわれない様管理する仕事があったと思われる。もっと言えば、現代で言うトコの警備会社や警察、消防、自衛隊的な役割が本来の仕事であって、刑事ドラマなんかでの薬物取引や借金の取り立て等は、本来なら“副業”といった事に過ぎないと考えられる。
では、なんでそういった推測が生まれるかと言えば…早い話が、平安時代末期の比叡山延暦寺の僧兵の“暴走”そのものが発端の様な気がする。彼等もまた、寺院を訪れる参拝客や、修行する僧侶達の護衛(山賊避け)がメインであって、当時の朝廷や武家達に対する不信感故に京の都で暴れた…というのは、ごく一部の若手僧兵の暴走を、上層幹部が止められなかったという事態だったと考えた方が自然だからである。
それが、歴史をどんどん下っていくと、その役目は次第に、氏子から“ワケあり”の風来坊が幅を利かせる様になり、やがて“用心棒ギルト”的な職業になり、それを養う為に、様々な事業…アングラ系からガテン系まで幅広いジャンルを“副業”として展開していったとすれば、現在のヤクザの“原形”が見えてくると思う。で、完全にヤクザがアングラ系アウトローなイメージになってしまったのは、明治以降の“役割分担”だと思う。
それまで、ヤクザの“専売特許”だった、社殿仏閣の警護や集落の治安維持を地域の警察が請け負い、災害時の支援および救助を消防や軍隊に一任した事で、ぶっちゃけ失業しかけた訳で、それをフォローするには、今までの“副業”を生業に切り換えていくしか方法がなかったとすれば…恐らくビンゴだと思う。更に、そういった歴史を学ばずに、ただ単純に“ヤクザいらねぇw”と言って騒いだ市民団体が、余計な事をやり過ぎて廃除されまくった故に、本来ある“常識あるマナー”そのものが形骸化し、守れなくなっているのが答えだと思う。つまり、良い意味でヤクザは、マナーレスを指導する“うるさ役”であったにも拘らず、それを市民団体は侮蔑した…という事になる。故に、本来なら騒ぎまくる連中を諌める立場としての“うるさ役”が必要なのに、それを引き受けるどころか存在そのものを“悪”にした連中が、ふんぞり返ってるモンだから、若者が勘違いする訳である。
主師親の三徳になぞられる、重要な事…つまり次世代の者達に対して儀式儀礼のノウハウとマナーの徹底を、やらなければいけない世代の連中そのものがバカすぎるために、その子孫末代までバカになって、躾そのものが身に付かなくなってしまったといっても過言ではないと思う。