迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“死に金”はすべての元凶

今日は手短にw(いや、なに、“崖の上のポニョ”を見入ったモンで…)
汚沢の不起訴…ま、取り調べをすっぽかしたりして、“証拠隠滅”をやってるでしょうから、これ以上の捜査は無理と判断した結果でしょう。が、まだ“別件”での立証の可能性が残ってます。それを見逃しての兄ポッポのめでたい判断…参院選裏目にならなければいいんですがねw

一番言いたい事を、サラっというと、そんなに“死に金”集めて、何に怯えてるんでしょうか?はっきり言います。経済が滞ってるのも、政策が八方塞がりなのも、すべては“正しいお金の使い方”をやってないからです。つまり…金持ち自身が使いたくても“使えない”政策ばかりやってる上に、それを私腹に貯め込んで、イエスマンばかりに撒いているからです。ぶっちゃけた話、ギャンブル嫌いに多い悪癖で、自分の命よりも資産を守ろうとするあまりに、お金に振り回された挙げ句、大切なモノを傷付けている…てか、失っていることに気付かなくなっちゃってるんですなw
こうなると、にっちもさっちも自分の思い通りに事が運ばなくなるのは、目に見えている訳であり、それを打開しようと思ったら、自らの罪を認め、その代償として、自らが進んで資産を使い果たすことです。
なんで、金持ちや学者は、宗教にバカみたいに寄付をするかといえば…つまりは、そんな“モノ(地位・名誉・財産など)”を持っていても、自分の心が“満たされていない”からこそ、それらを一切“捨て去る”場として、信仰に走るんです。一番わかりやすく言えば、震災で傷付いた被災者にとって、援助物資や義援金よりも、自分達の悲しみや寂しさを分かち合ってくれる“人の温もり”が欲しかったのと同じ様に、どんなに“恵まれた”環境にいても、真実の愛情が欠乏してると、それを求めるモノなんです。逆に言えば、そんな“弱い”自分を認めたくないばっかりに虚勢を張って、欲望のままに暴走する訳です。そこに群がるのは、没落を待ってるハイエナやカラスばっかなのに、そういうのを“味方だ”と勘違いするんですね、自分が見えなくなっている時って…
ついでに言うと、無責任な“応援”は、却って当事者のココロを傷付けます。がん患者にしろ、アスリートにしろ、“何をどうがんばれと…”と思っている状況では、却ってイラ立つだけです。重要なのは、そういった緊迫した時こそ、“笑って”やることです。笑わせるのではなく、自然に笑みをこぼせる様に、自分から仕向けていく…そのために必要なのが、日々の暮らしの中での観察力…つまり、“見守ってやる”事なんです。相手の気持ちを察し、その先手を打つことも時には必要ですが、“いつもここにいるよ…”と、常に呼びかけ続けることが、真の意味での“優しさ”なんです。その為の財産であれば、誰も妬みませんよ。