迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

服装問題等でイチャモン付けるなら…

少しオリンピック関連ネタとしては古くなるが、いわゆる“国母問題”ってヤツを考えたんだが、そこまで目くじら立てて服装や髪型をとやかく言うのならば、公式の式典行事において、男子は紋付袴、女子は振り袖袴で登場するのが礼儀ではなかろうか。大体、日本人の“正装”は着物であり、その中でも“紋付”は冠婚葬祭において、最上級の“礼服”である。そういう事を知らずに、服装云々を言うのならば、次のロンドン以降の夏季および冬期のオリンピックで、開会式等は紋付で登場してもらおうじゃないかw

スノーボードもまた然り。服装が自由であるなら、着流しで颯爽とハーフパイプでも決めれば、諸外国…特にアメリカのボーダー達も、挙って“KIMONO de Board”とか言って流行るかもしれない。民族衣装…特に着る人のセンスよりも仕草が絵になる服は、日本の着物ぐらいだと思う。そういう意味でも、スーツ姿に拘る事こそ、日本人として恥ずかしい限りである。
閑話休題。つまり、今の日本人は、自分自身に誇りが持てないから、他者を批判して見下そうとしているだけに過ぎない。それは、アメリカの企業や中国の政治家がやっている事とまったく同じ、低レベルの話である。一番肝心なのは、相手にどんな批判を浴びせたとしても、結果そのものは覆らないという事。自分自身が努力しない限り、技術や知能、文化そのものの成熟度は増す事などあり得ない。言い方を変えれば、僻むのは大いに結構だが、それに似合うだけの創意工夫を自分がやっているかを考えろってことだ。なんせ、相手を憎み、恨み、嫉妬に狂っている分、自分自身の“人生”そのものを自ら捨てている様なモンで、はっきり言って“時間と労力のムダ”である。
政治もまた然り。マ―グが吠えたのと同じだが、いくら衆院選で“民意によって選ばれた”からと言っても、それはその瞬間だけの話であって、そこから先は、その“民意の声”に応える様に仕事をするのがスジであって、一部の宗教団体や個人を罵ったり、事業そのものを批判するのは、バカを通り越えて情けない。むしろ、そういう“オツム空っぽな代議士”だと見抜けなかった有権者が気の毒である。かつての自民党は、それこそ地元の要望に応えんと奮闘したのは、地元の人間なら誰もが知っている。が、その“手口”があまりにも汚過ぎたからこその没落であり、それを正そうと思えば、相当な時間が掛かるのはいうまでもない。(ま、一緒に下野した公明党が手綱をもってやっているのならば、それも早く解決するかもしれないが…w)まして、民主党の正体なんぞ、旧来の自民党の、コレまた“カネに汚い”連中の劣化コピーである。つまり、政権“奪取”さえできれば、“昔の自民党”を復活させて政治をすればいいとでも思ってる様な“バカの集団”である。だが、時代は確実に、自分達の“理想郷”から離れていっている。なぜなら、今までなら上手くいってた事が、既に通用しなくなっているからである。(それだけ、年老いたって事だ。)
オリンピックの話に戻そう。スポーツを通じて“戦争のない世界”を実現させようと開催してるのがオリンピックの“本分”であり、そこを勘違いしてる連中がいる以上、オリンピックの“結果だけ”で国内外で紛争が起きてしまうというジレンマがある。ぶっちゃけた話、ならば、参加している選手全員だけじゃなく、大会組織委員や関係者全員が襟を正し、競技ひとつひとつの公正なジャッジをやるのがスジであり、その結果は、どんなに不服であっても文句を言うべきではない。むしろ真摯に受け止めて、次の大会までに精進し、高度の技術を磨き上げてこそ意味がある。何度も言うが、愚痴るヒマがあったら、自分にできる“最高の技術”を更に磨き上げて精度を高めた方が賢いのであって、どんな相手に対しても、罵った時点で自分の価値そのものが下がる。服装に関しても同じ。“だらしないから”といって差別するぐらいなら、最初から“公式種目”にしなかったら良いだけの話である。ツッコんだ話をすれば、“公式種目”である以上、その格好こそがその種目に参加する選手にとっての“正装”であって、それが理解できないのなら、国際ルールとして服装に関する記載をするべきである。