迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

月刊ヒデボー通信 2010年3月号

こんばんは、ヒデボーっす。“あれ、オマイの番は明日ジャマイカ?”と思われた方、多いのではないでしょうか。実は、明日から8日間は、ノブさんの“命日企画”というのが入る為、ボクの月イチネタは、今日更新という事になります。ちなみに、マ―ティ先輩の方は、再来週の木曜日に更新予定との事です。
さて、年明け早々にハイチで震災があったと思ったら、今度はチリですか…その津波気仙沼などを襲った様ですが、何か善からぬ事が起こりそうな気配すら感じます。被災された方には、心からお見舞い申し上げます。

話が変わりますが、最近、児童虐待のニュースが後を絶ちませんね。つい先日も、我が子を虐待の末に餓死させるという、痛ましいニュースがありましたね。なんで簡単に、自分の子どもを殺す事ができるのでしょうか?自殺者がこんなこと言うのはなんですが、痛い思いをしてまで生んだ我が子を殺すぐらいなら、始めから避妊するか、妊娠初期に中絶するぐらいの事はできなかったのかと…何せ、生まれくる子どもには、自分の意志で両親を選ぶ事などできません。当然ですが、親が理想の子どもを選んで産む事もできませんから、そこはお互い様だと思うんです。でも、親の都合だけでその生命すら消されて行く子ども達が、ボクには不憫に思えて仕方ありません。
ボクも生前は、かなり我侭な性格だったと自覚してます。が、それでも、両親は(ボク自身が自殺してしまった事はともかく…)、そんなボクの性格を知った上で、最期まで付き合ってくれました。(とはいえ、自殺者ですから、ボク自身は相当な親不孝者ですが…)マナーレスで無鉄砲なのは、子どもだからこそ“許される”範囲であって、分別のつく大人であれば、やって良い事と悪い事ぐらい、自分自身の意思でわかるハズです。しかし報道で流れている、こういった虐待のニュースでは、どうもそういった教養というか、躾そのものが、わかっていない人が多い様に思えて仕方がありません。殆どが、自分自身の我侭を優先し、相手の尊厳を踏みにじってる行為が目立つんです。
自由でありたい…その想いは誰にでもあるモノであり、だけど他者を巻き込む様な迷惑行為はやってはいけないと、自分自身に言い聞かせながら歯止めをかけていくモノだと思うんです。逆に言えば、手加減を知る為には、自分自身が“痛み”を知る事が大事だと、ボクは思うんです。両親や祖父母、親族の年長者から叱られ、その上で顔や頭を軽く叩かれて、叱ってくれる者の“心の痛み”を体感させる…そういった“教育”が、一時は“ナンセンスだ”と批判され、それが巡り巡って、今の状況を作り上げたのだとすれば、これほどの悲劇はないと思うんです。
まして、今の政府与党は、そんな“家族の絆”を完全に破壊しようと躍起になってます。“国民”って、ごく一部の官僚や政治家の“家畜”なんでしょうか?これこそ、今の日本が抱えている“心の病”の原因じゃないでしょうか。いつの時代においても、子どもにとって“親”という存在は偉大であり、尊敬の対象であらねばいけないハズなのに、それが邪魔だといって廃除するのなら、人間である必要性って、ないと思うんです。地域社会の活性化もそうですが、生活基盤が居住地と仕事場が離れ過ぎてて、地元の様子がわかっていないのが現状だと思うんです。だから、地域復興の為の妙案があっても、それに反対する理由をいまいち理解できていない人々によって、実行できないまま放置されている…それが、ひいては日本全体の景気衰退の一因だと思います。
一見ムダに思えるモノでも、それは時として、住民の精神的な安らぎをもたらすモノであったり、地域住民同士のコミュニケーションのきっかけだったりと、様々なカタチで影響し合ってます。それを無視して、無理難題を世間に押し付けるなら、その事が原因で廃れていったとしても、文句を言える立場じゃないと、ボクは思うんです。
今月は、なんかストレス溜まったままになっちゃいましたね。でも、今のマスターの気持ちを代弁すれば、こういう事だと思うんですよね、ボク的には。それじゃ、また。お相手はボク、ヒデボーでした。