迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

食糧難の原因は?

ぶっちゃけた話、様々な要因が重なっているのは事実だが、一番の原因は、“メニューの単一化”…つまり、世界中で同じ食材で、同じメニューが提供されている事に気付いていないということ…早い話、食文化の乱れそのものが、一番の原因と考えるべきではなかろうか。よく考えて欲しいのだが、海辺のレストランで魚介類の料理を食べるのはごく普通だが、そこで分厚いTボーンステーキとか、ハンバーガーってのは、どう考えても不釣り合いであると、オイラは思う。もちろん、魚介アレルギーで、そう言うのが一切ダメな人の場合はともかく…である。

根本的な話、現在の世界規準で語られる“食料”というのは、大概の場合は“小麦”で換算される。しかし、気候や土地柄上、栽培できない地域(海辺とか、高地とか…)では、それが生産できないのはわかりきった話である。しかし、そういう地域の人々にも“小麦文化”を強要すれば、必然的に小麦が耕作できる地域でまかなえる許容量をオーバーする訳である。更に、海洋民族に対して、クジラを含めた魚介類を捨てて、畜産物(牛・豚・鶏等)を食べろと言ったなら、当然ながらその分の食料が不足して当たり前なのである。
当然ではあるが、その分をフォローしようと思うと、不本意な農地の開拓と、過度な灌漑施設の設置、更に遺伝子をいじくり倒した品種改良等をやらなければいけないし、その分、食料そのものの価格が跳ね上がるのは必至である。こうなってくると、“誰得?”な話となってくる。つまり、こういう事を“知らない”連中が、“俺様エコ”で世界中の自然や民族的風習等を破壊して、尚かつ“自分が正しい”から供される食事も“本国の味”でないと受け付けないという我侭を抜かす訳である。
もちろん日本でも、アイヌ琉球民族に対して、欧米諸国と同じ事をやっていたのは確かだが、それでも近しい文化・文明である以上、双方の“領域侵犯”をなるだけ避ける方向で、何とか共存している。(でも、実際は…ゲフンガフン)
話を元に戻すと、文化交流というのは、本来の意義は双方の地域性や風土を深く理解した上で、お互いが寄り添い合いながら繁栄していこうという心意気を、伝統芸やご当地料理等で示し合う事であり、決して相手の文化の否定を前提とした“交流”であってはいけない。つまり、節操のないブーイングは、相手を侮辱するだけでなく、自分自身も相手に理解されないままで、余分な血を流すハメになるだけである。
話がまた逸れるが、沖縄米軍問題も、基本的にはアメリ海兵隊の“モラル欠如”が原因であって、そこの部分を内部から正していけば、ある程度の理解を得る事だってできる。(根本解決にはならないだろうけど…)逆を言えば、“他人の家”を土足で走り回った挙げ句、その件に対して一切謝罪の言葉がない態度をとるが故に、現地の人々が怒っているのであり、そこんトコを勘違いして代替案とかを出してはいけない。つまり、日本政府が本来取るべき態度は、“常駐しても良いが、あまりデカい態度をとると支援をしないぞ”と示す事である。
海犬や緑豆の抗議行動でもそうだが、自分達の文化こそが“世界共通”と思い上がっているから嫌われるのであり、その地域の風土や歴史、環境を考えた時、如何に自分達がバカだったかと気付かない限り、大騒ぎするのが当たり前である。明確なデータがあっても信じようとしない連中に対して一番の“特効薬”は、現地で“地産地消”を学ばせる事である。つまり、その土地の食文化と、その背景をきちんと教えてやれば、こんなトンチンカンな話は出てこないのである。ま、そういう連中程、極限状態に陥った時に、図々しい態度がアダとなって、いつの間にか消えてるんだけどね…。