迷馬の隠れ家 はてな本館

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“クリーンな政治”には、犠牲も必要。

先週末、突如“小鳩”政権が崩壊し、今週から菅内閣へとシフトした訳だが、実質、何も変わっちゃいない。なぜなら、今回の主犯格が、所属政党の役職と解かれただけで、議員辞職をしていないからである。そう、次の参院選議席が掛かっている現職組から、“今のままでは…”という憤懣を回避する為のフェイクであって、単独過半数を獲れば、再び勢力を増して復活するのが目に見えている。ぶっちゃけた話、菅首相が小泉元首相と同じ様に、判断力と抵抗勢力に対する肝の座った態度が取れる人物であるなら、とっくの昔に議員辞職か党からの除籍という“処罰”を下すのが、政権維持の最低条件なのだが、そういう気が、まったく感じられない。これでは、かつての独裁与党と同じであり、折角民衆との距離が縮んだ政治の流れが、時代に逆行するカタチになる。まして、政治改革とは真逆の、政治腐敗を許す体質に戻るのがオチだ。

“クリーンな政党”がウリの公明党だが、国会議員に関しては、かつて3度程、“政治とカネ”に関する疑惑で、危うかった事がある。とはいえ、最初の“事件”そのものは、検察による公職選挙法を“悪用”した不当な逮捕であって、実質、議員そのものが逮捕されたケースは、その後の2つであり、いずれも党としての処罰は、議員辞職勧告と党籍の除外という、いずれも厳しい判断が下されている。ただ、前者は議員辞職後、政界から完全に姿を消してしまったのだが、後者…いわゆる“明電工事件”で追放されたヤツは、この事を逆恨みして、今は亡き山友の跡目を継ぐ様な暗躍振りを発揮している。前回の選挙でも、実は現与党サイドにコイツが“対創価攻略法”なるデータを持ち込んで、支援していたという噂がある。
ではなんで、公明党はこういった厳しい処分を下すのか…それは、組織として守るべき規則は、議員、及びそれを志す者であれば、厳守してこそ当たり前な話であり、それすら守れない人材に、国や地域の運営など任せる事はできないという信念があるからである。つまり、幹部クラスが党内のルールを無視する様な政党に、国家の将来を語る資格などない…というのが、公明党の結党時からの“姿勢”なのである。だけど、そういう政党だとわかってても、何せ“カルトな政党”ですから、普通の感覚だと嫌われるのは当然といえばそこまでだが、“宗教理念そのものが政治に関与する事はいかがなモンか…”というトンチンカンな考えが、未だにまかり通っている事自体が、実はすべての原因だと考えられる。間違ってはいけないが、宗教を根絶し、人間としての最低限の礼節が欠けると、生命の尊厳や家族や仲間という絆そのものが希薄になり、それが原因で国が滅亡しかねない状況になる。
歴史上、大国が滅亡した時の原因は、その殆どが為政者の不知恩な態度であり、それ故に治安が悪化したケースである。ぶっちゃけ、隣国からの侵略や自然災害といった“外的要因”だけで滅ぶよりも、政治不信や群衆蜂起等による“内的要因”が引き金でそうなるケースも含めると、やはり、自らの襟を正さなかった為政者こそが、亡国の“一凶”と言わざる得ない。“立正安国論”の“如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには”という御金言には、政権維持の為に小手先の政策で誤摩化す事よりも、国民に混乱を与えた張本人を完膚なきまでに懲らしめてこそという意味合いがある。忘れてはいけない。組織において、足を引っ張る人間は要らない。そして、いくら財力や人脈があるからといって、社会上の最低限のルールを守れない様な人物を庇う組織など、信用してはならない。逆に、過去にどんな罪があっても、その後に猛省し、地域に、あるいは故郷に貢献する者であるなら、助太刀する価値がある。そして、一度失った信頼を取り戻す為に、自分を戒め、犠牲になってまでも率先して行動する人こそ、真のリーダーに相応しい。