迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

悲しき知らせ…

本来なら、ヒデボーの更新日なんだが…あまりにも悲しい知らせが夜中に入った。オグリンこと、オグリキャップが放牧中の事故で、この世を去った。オイラが競馬の世界に本格的にのめり込み始めた頃に走っていた馬であり、オイラの馬ぐるみのコレクションの始まりの馬でもある。コイツがいたからこそ、現在の競馬ブームは生まれた訳であり、昭和から平成という時代の境目にいて、それは“葦毛の怪物”という名称よりも、オイラ的には激動を駆けた“銀色の流星”だった。

馬そのものは、小さな頃から好きだった。でも、競馬そのものを好きになったきっかけは、人間なら薫兄の存在が大きいが、馬で言った場合、真っ先に出てくるのが、オグリンだった。もちろん、同期のヤエノムテキスーパークリークも好きだったが、当時は、競馬グッズなんてそんなに出てなくって、しかも子ども向けの“玩具”として発売されたぬいぐるみでは、コイツしかいなかった。(コレ以前となると、映画版“優駿”のオラシオン馬ぐるみがいたが…)どうしても欲しくて、お小遣いを貯めて、Lサイズのヤツを何とか手に入れた記憶がある。そして、時間が許す限り、ずっと手元に置いて、時に抱きしめて…気が付いたら、部屋中馬ぐるみだらけになっているw それでも、旅先に、あるいは学校行事で授業が無い時など、教科書やノートの代わりにバッグに入れて、持って行く事もあった。
オグリンが現役引退した時、そのお披露目会を京都競馬場で行うと聞いて(実際は、当時の進行担当だった薫兄に逢いたくてw)、京都競馬場まで行った事がある。それから数年後、クルマの免許も取り、社会人として随分経ってから、航空運賃を安くする方法を知って、北海道へ行く事ができる様になってからは、牧場見学はまず、繋養先の優駿SS(当時は現在地よりも、もっと海側にあった)へ立ち寄る事が定番だった。そして、牧場そのものが移動して見学できなくなっても、結活イベントを三石の青年団がやっている事を知って、それに参加して逢いに行った事もある。
オイラが一番最後にその勇姿を見たのは、2年前の東京競馬場グランドオープンの時。そう、このBlogを読んでいる方ならご存知だと思うが、シンがレポートした通り、高齢で長距離輸送でのダメージが心配されながらも、元気一杯にパドックを周回する姿は、今でもはっきりと憶えている。あれを見て、あと10年は大丈夫だろうと思ってたのに…
今年、優駿SSは移転後(現在地は旧・CBスタット…ナリタブライアンが繋養されていた場所)中止していた牧場見学を、事実上解禁したばっかりで、その中にはオグリンやマヤノトップガンキングヘイロー等がラインナップされていて、体調面に合わせて放牧されていた。やっと、オグリンに再会できるチャンスが…と思っていた矢先に、こんな訃報が届いた。あまりにも悲し過ぎる話ではないか。
今、引退時に制作された楽曲を聴きながらこれを書いている。この曲には、こんなフレーズの歌詞がある…

おまえが走るため生まれてきたのなら、わたしは何のため生きてゆくのか…帰らないあの夏を駆け抜けたオグリキャップ
(オグリキャップの歌:作詞、安西美穂子)

今頃、ジュンペイに逢っているのだろうか?それとも、菫華の君にその鼻面を撫でてもらっているのだろうか、それとも…ただ、ただオイラはこれからも忘れない、オグリキャップと一緒にいた時間、共有できた思い出、そして歴史を…遺された者の使命として、多くの競馬ファンとともに、後世に語ろう。それが、今できる、オイラなりの手向けだと…


競馬史に一時代を築いた名馬を想い…南無。