迷馬の隠れ家 はてな本館

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オグリと薫兄

オグリキャップ急死から2日経っても、未だにその訃報を信じられないファンがいる。無理もない。つい2年前の東京競馬場で、特別なイベントの一環として登場した時ですら、常識では考えられない程元気な姿を見せていただけに、余計に不慮の事故で…という無念さはある。という訳で、今週いっぱいは、特別企画“オグリキャップと…”で更新しようと思う。(いつものGQネタは、来週、まとめて更新予定w)
で、一発目の話は、薫兄関連の話から。ご存知の通り、薫兄はMBSの競馬アナだった訳だが、オグリンが現役だった頃は、既に競馬スタッフとしてもチーフといって良いぐらいの地位にあった。しかし、皮肉にも関西エリアにはKTVに“最強の競馬アナ”が君臨しておりまして、どうあがいても、薫兄の存在は、ヘタすりゃ守タソやニャオキよりも“格下”扱いされる場合も多々あった訳である。

しかし、その存在感を大きく変えるきっかけが、ちょうどオグリンのレーススケジュールが関係すると言ったら、どう思うだろうか?実は、きよぽんや守タソ達にとって、関東のG1を実況するという行為は、系列親局(CXフジテレビ)や本社組(ラジオたんぱ:現在のラジオNIKKEI)に対する反逆的な行為であり、余程でない限り、リアルタイムでの実況はあり得なかった。(但し、全国放送に流さない、あるいはビデオアーカイブ作成のためといった“大義名分”がある場合、スタンドに特設放送席を設けて収録することはあったが…)しかし、MBSの場合は事情が違って、かつて関西でのJRAオフィシャル局だったという特権と、競馬ブックで毎年出していたカセットブックの制作という口実で、G1時に府中や中山に出張することがあり、その過程で、生中継を行うことができた訳である。そして、昭和から平成に変わろうとしたこの時、オグリンの主戦場は、所属が栗東・瀬戸口厩舎だったのにも関わらず、関東での重賞に集中していた。そしてそれは、薫兄にとって、オグリンと一緒にいられる時間が長かったことをも意味する訳である。特に、薫兄が実況を担当したレースでは、掲示板を外すことは殆どなかった。
そんなこともあって、京都競馬場での引退式の進行役を、薫兄が引き受けることになった訳である。実際は、きよぽんや守タソにもオファーがあったんだが、いずれも“オグリが出たレースは、殆ど実況してないから…”という理由で断ったんだそうな。そこで、一番縁深く、そしていつも近くで実況をやっていた薫兄に白羽の矢が立った訳である。ただ、薫兄自身は、そういう経験がまったく無くって、一度は断ったのだが、よくよく考えてみると、オグリンと縁がある実況アナは、関西だと自分しかいないことに気付き、承諾したのだという。(ただ、内容そのものは薫兄だだスベリ…でしたがw)
優駿SSに繋養されてからは、ほぼ毎年の如く、薫兄はオグリンに逢いに行っていた。もちろん、札幌記念の実況や、他の牧場で様々な取材をするついで…という感じではあるが、他の牧場で取材を拒否られたり、時間の都合で予定していた訪問先へ回れない時等に、“とりあえずオグリのトコへ行っとけば、話のネタになる”という事もあって、ちょくちょく立ち寄っていた。また、不思議な話だが、通常、男性の見学者が相手の時は無視して、女性が声をかけたら近付く習性があったらしいのだが、薫兄に対しては、その“例外”だったらしい。そのため、“薫兄と行く牧場見学ツアー”の企画には、ノースヒルズマネージメントの新冠牧場と優駿SSは、ほぼ確約で見学できる状態だった。
そんな薫兄も、今は双眼鏡を置いた身であり、そうやすやすと行ける身分ではない。しかし、この訃報を聞いて、彼はどう想っているのであろうか。