迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

週刊ヒデボー通信 2010年8月15日号

チョリーッス、ヒデボーっす。今日はマスターがいろいろ忙しそうにしてた事もあって、こんな時間に更新となっちゃいました。
さて、今日は終戦記念日でしたね。ちなみに明日は、ボクの“生前さん”の誕生日で、本来なら48回目のBirthdayなんですが…今となっては、虚しいです。正直言って、祝ってもらえるだけでも幸せだったのに、死んでしまうと、そういう感情も無くなってしまうんですね…寂しさばかりで…時々泣きたくなります。
(T_T)

でも…愛国心を利用され、反撃される事を恐れた者によって殲滅され、本当に救われなければいけなかった多くの人々が苦しんだ、先の太平洋戦争。本来なら、既に過去の清算は終わっているハズなのに、未だに恨み言をいう人がいる…本当の“戦争”は、終わっていないのかもしれません。なぜなら、原爆の件でもそうですが、もし、本当に戦争を終わらせるきっかけが原爆であったらならば、どうして、その後に発生した朝鮮戦争ベトナム戦争、そして先の湾岸紛争の“解決策”として使わなかったのでしょうか?ボクはそれが、不思議で仕方ないのです。逆に言えば、むしろこの戦争は、“力に奢れし者の茶番劇”だったのかもしれないと思うと、多くの犠牲者…特に“お国のため”といって戦火に散った、多くの若者が、さぞ無念だったと思えるんです。そういう意味では、靖国参拝や戦争責任を未だに言い続ける、中国や朝鮮半島の国々は、“大人気ない”態度だと思うんです。当然ですが、欧米諸国もです。自分達は“それでいい”と勝手に和解してても、犠牲になった人達の“恨み”を背負う度胸が無いから無視してる…としか、ボクには見えないんです。
こっちの世界にいて、毎年、この時期になると、多くの無縁霊と接する事があるのですが…異口同音に、大切な人やモノの“行く末”がどうなったのか、その事を気にかけているんです。むしろ、それは、大好きだったモノよりも、自分を殺さなければいけなかった人々の事です…そうなんですよね、“あの瞬間”は自分の存在すら憎しみの対象にしているのに、時が経ち、精神的に落ち着いてくると、逆にそういう人達を“可哀想”だと思えるんです。残された人達でも…自分の知り合いより、関わり合いが無い様な人の事を思える心境って、意外とこんな状況でないとわからないのかもしれません。でも、ボクの場合、それを理解するのに、マスターの力が必要な程、未熟だった…だからこそ、こんなふうにマスター経由で、Blogを通じてボクの気持ちを発信するしか、今のボクにはできないんです。
誕生日を祝ってもらえない事より、大切なモノを踏みにじっている人々を“可哀想”だと思うと、別の意味で悲しくなります。わかっていても、助けてやりたくっても、それができない方が辛い…人間の心理って、奥が深過ぎて、時々ボクでも塞ぎ込んでしまいます。でも…そうだからこそ、人間なのかもしれません。理解してやる事が難しいなら、光も闇も全部まとめて“自分”であると認め、包み込む様な“優しさ”が、今の世の中には必要な事なんだと…今のボクは感じています。でも、ボクはもう…あれ?何だか、ボク、胸が痛いです…多分…もっと早く、自殺する前に気付くべきだったのかと思ったら…急に…ごめん、マスター、ちょっとだけ、憑衣していいですか?

(仕方ないねぇ…とりあえず、しばらく貸してやるから、存分に泣きな。)