迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

八百長問題と政治の話w

いやはや…やはり野球賭博関連の捜査は、別件容疑の“前捜査”だったんですねw ま、大相撲の大阪場所が無くなるかもしれんという事だが、実際の話、今回の“八百長事件”はどうだろうと思っている。というのも、あまりにもタイミングが良過ぎてはしないか?そう、去年の“野球賭博”の際も、政治の方では汚沢の捜査が有耶無耶になっていたし、今回もそういう気配がしてならない。敢えて言っておくが、こういう輩を処罰できない…否、叱ってやる事が出来ない組織など、その行く末は知れているというモノ。立正安国論の一文ではないが、元凶を切り捨てずに放置すれば、組織そのものが崩壊する…そう、まるでシロアリに大黒柱を喰われた、古い木造家屋の如くである。

そもそも、なんで“八百長”がいけないのかと言えば…つまりは“フェアじゃない”という事。言い換えれば、相手を喜ばせる為に、手を抜いている訳だ。実力の差があって、尚かつ相手が全力で勝負しても、自分の方が能力が上だと、ついつい可哀想に思える訳である。が、真剣勝負を挑んできてる相手に、“話にならんなw”とバカにしてるのと同じであって、完膚なきまでに叩きのめされた方が、却ってスムーズに和解できる事の方が多いのに、何故かしょうもないプライドを優先する事が多い。つまり、“八百長”を見抜けずに喜ぶバカは、どんなに肉体が大人でも、そして年齢を重ねたとしても、精神的には幼稚園児以下な訳であるw
逆に言えば、“八百長”せざる得ない時を考えた場合、本当に“それでいいのか?”という後悔を、墓場まで持って行く覚悟がなければ無意味であり、真相を打ち明けぬまま消える事は、いろんな意味で誤解を招く事になる。ぶっちゃけ、会社の付き合いで、汚れ役を引き受けてまで接待事をしなくてはいけない場面もあるとは思うが、本来、そんな姑息な手で契約が結べたとしても、それは相手がバカだっただけの話であり、プライベートで真剣勝負したら、素性がバレてイタい目に遭う事になる。逆に、最初から手を抜かずに、それで相手を負かせてしまったら、その瞬間は職場の立場上激昂するが、後日、“アレは私を思って真剣に挑んでくれたのだ”と感じてくれる相手なら、自分に対して対等に話をしてくる様になる。むしろ、そういった部分を買ってくれる相手であるからこそ、接待上のゲームでも“あれは遊びだから…”と言って笑ってくれるし、信頼を勝ち得やすい。
つまり、地位や権威を振りかざし、自分が気に喰わない相手を排除しようと思うから、“八百長”で煽てられている事に気付かぬまま没落するのであり、そこを見抜いた上で、相手を諭す事ができる人こそ、本物の“大人”なのである。そうなる為には、今一度、自分自身の“我侭さ”に振り回されている相手を思ってやる事も必要なのではなかろうか?
教訓:子どもにバレる様な“八百長”は可愛いモンだが、世間を欺く態度はいただけない…国技も政治もw