迷馬の隠れ家 はてな本館

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大阪府と大阪市が喧嘩をする理由…

ま、橋下知事と平松市長の“喧嘩”そのものは、実は少々根の深い話をせねばいかんのだが…サラっと一言でいえば、“御上が勝手に作った行政機関”vs“市民の手で作ろうとした自治行政”という構図そのものがすべてって訳w つまり、“大阪市民”からして“大阪府知事”というのは、自分達の生活基盤をブチ壊す“悪人”でしかなく、“大阪府民”からすれば、“大阪市長”という存在は、連帯の和を乱す“元凶”的な存在という訳だ。

つまり、大阪府にある他の市町村(堺市含む)と大阪市そのものは、基本的なトコが違うのだ。元々、大阪市そのものは、それこそ明治の初期は中央区浪速区天王寺区、北区の一部(旧来の北区…阪急梅田駅の周辺)だけであって、他の区は町村合併の際に加わっていった部分である。一番わかりやすく言えば、大正区はその名の通り、大正初期にできた埋め立て地の部分であって、それ以前は港湾の一部だった…と考えてくれれば理解しやすいかとw
で、大阪府そのものは、実のトコをいえば、大阪市よりも北のエリア…つまり、能勢や池田、千里丘陵一帯自体が元々の支配地域であって、現在の大阪市東部や堺市以南、更に現在の奈良県は、明治初期において“堺県”という行政区画に該当してた訳である。しかし、明治時代において、泉州エリアの工業地帯で富を得ていた堺県と違って、大阪府大阪市自身がある意味で特区地域だった事がアダとなり、財政そのものが貧弱だった訳である。だから当時の明治政府は、堺県に対して大阪府との合併を要請した訳である。しかし、奈良盆地の住民から反発があって、堺県そのものは、生駒山金剛山が連なる生駒山地を境に分割し、泉州と河内の市町村が大阪府編入し、残った奈良盆地とその周辺が奈良県として独立した…というのを、堺市の小学生なら、誰もが学ぶ訳であるw (詳しい事は、堺市の歴史がわかる“むかしの堺”なる小冊子を参照されたしw)で、編入した際に一部の町村が、より財源が大きかった大阪市編入し、コレによって現在の大阪市が形成される訳である。つまり、平野区鶴見区などは大阪市に隣接した村だった訳であり、本来ならば、大阪市とは別の行政機関が支配してた地域だったという訳である。
つまり、大阪府大阪市を相手に喧嘩をする最大の原因が、明治政府の廃藩置県でのゴタゴタが起源であり、ある意味では姫路市兵庫県の喧嘩と根本的には同じなのであるw(兵庫県の県庁所在地をめぐって、明治政府と姫路市民がガチで喧嘩してましたからねぇ…)そして、大阪府そのものが大阪市にやっかみを言っている最大の理由が…実は、堺市政令指定都市に格上げになった事も響いている。ってのも、政令指定都市は法律上、各都道府県が行う権限そのものを、市の単独判断で決議する事が可能な為、財政面でも所属する都道府県の指示を無視(!!)して、市の収益をガンガンに使えちゃったりする訳である。それ故に、大阪市堺市の税収は、大阪府全体においてトップクラスの実入り…という訳である。それが、堺市中核市とかといった“一般地方都市”だったら、ある程度は財政破綻寸前でも持ち堪えれるんだが、“政令指定都市”という事で抜けちゃったモンだから、“大阪市なんか、潰してしまえw”なんて言葉が出てくる訳である。
大阪都構想”なんてのが出てきた背景には、こういった大阪市大阪府の不仲そのものが根底にあって、それ故の“構造改革”という理念そのものである。逆に言えば、大阪市大阪府のすべての市町村が合併してくれれば、それで“大阪都”そのものは完成する訳であり、そうなると“大阪府”という組織そのものは、不要なモノとなる訳である。その危機感から、橋下知事も焦る訳であり、平松市長も喧嘩腰になる訳である。大阪市としては、これ以上の負担を強いたくないから拒絶してるのであって、大阪府大阪市の財政難の原因が、市内の杜撰な管理による生活保護受給者の問題を知っているから、その負担を減らす為にも潰したいのである。ま、オイラから言わせれば、府庁を堺市に移転させて、堺県としてリスタートされた方が良いんじゃねぇのと思うのだがw