迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

貧困だったが為の…

今日、某テレビ番組でフィリピンのイメルダ=マルコスの半生をやっていたが、なんで彼女が権威や財産に固執するのかが、よくわかった気がする。そしてそれは、田中角栄にも通じる話である。そう、この人達の共通項は、元々貧困層の出身であり、それ故の“すべてを失う恐怖”に取り憑かれた、一番哀れなる存在だという事だ。

そう、根本的に“心が貧しかった”事が、そのカリスマ的な頭脳を悪事に使ったという“汚名”が憑きまとうのであり、そこんトコは、他の貧困層と一緒にしてはいけない部分である。つまり、学歴は優秀でなくても、社会での適応能力…つまり、実体験での経験値が他者と違って豊富だったからこそ、どんな相手に対してもハッタリをカマして交渉事を上手く纏め上げた実績がある。そして、貧困層出身という部分が、多くの有権者と境遇が一致しやすかったからこそ、そのカリスマ性に平伏した訳である。だが、あまりにも周囲の大臣や官僚、更には一部の大手企業からの手厚い施しが、結局、彼等をドン底に突き落とした…そう、同じ貧困層有権者から、その事が原因で反感を買ってしまったのが、一番の不幸なのである。
仮に、彼等のカリスマ性に対して、面と向かって叱ってくれる賢者が傍にいたなら、そして、宗教哲学に基づいて、支持者だけでなく多くの国民を愛せる為政者としてその手腕をふるっていたならば、ロッキード事件や軍部の反乱による2月革命は、発生しなかったハズである。そう、彼等に共通するのは、真の意味での“親友”がいなかった事である。それは、交友録を探っていけばわかる範囲である。
言い方を変えると、自分の側近が“何を”してたか、自分でも把握できない程、権威や財産を持ったが為に、それに振り回されてしまったのが“すべての不幸”の始まりであり、側近達がその責任を保身の為に擦り付けた為に、すべてを失った訳である。また、独裁政治を行う者すべてに共通する“人間不信”という心理状況が、結果として、本人のカリスマ性や才能がアダとなった…つまり、原点に立ち返り、やり直そうと思わなかった事が、最後まで自分を苦しめているという事に気付いていなかった訳である。
汚沢の件もまた然りで、出身地…というより、選挙区の地域が他より貧困なトコ故に、向上させたい一心が却って国そのものをダメにする様な状態へ導いてしまった訳である。ぶっちゃけた話、貧しさからの脱却を急ぎ過ぎて、肝心な事を忘れているから、どんな政策も失敗に終わるのであって、重要なのは、自分のチカラで“できること”を先にやるべきであって、それが片付いてから次のステップに踏み出す事である。
ロシアのゴルバチョフ元大統領も、最初はしがない小さな州知事として、地域の生活向上の為にどういった事をやるべきかを考え、行動した事から、ソ連共産主義に対して“革命”を起こしたのであり、その結果、ソ連そのものが崩壊して、ロシア連邦へと移行した訳である。(で、その精神を踏みにじってるのが、現在のネドベージェフ大統領とプーチン首相の“元・KGBコンビ”な訳なんだが…w)そして、小泉改革の一番のポイントは、富裕層が社会的貢献をやりやすい様に社会構造を作り替えようとした結果であって、そこんトコを有耶無耶にして“社会保障を拡充しろ”だとか、“国が一元で管理して”とか我侭言うのは、民主主義の概念から外れた甘えである。(正直言って、共産主義であるハズの中国や北朝鮮の社会構造なんて、むしろ日本の現状より悲惨な世界だw)すべては、物質的な豊かさに目を奪われ、自分の心そのものが荒んでしまっている事に気付かなかった…否、心の豊かさを失った事で、それを金銭や物資で補おうとしたが為に、すべてを失ったのである。真の意味での“貧困”とは、何でもない事でも幸せを感じていた純粋さを捨てて、自分の身についた様々な邪念を持って自分の“更なる幸福”を願い過ぎた、愚か者の別称でしかない。どんなに金銭的に恵まれても、どんなに他人が羨む地位や権威を得てたとしても、そこに虚しさを感じているなら、それは“自分のモノではない”という証拠。本当の意味での“断捨利(だんしゃり)”とは、素直な自分に戻れる勇気を指す…