迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“天罰”という言葉で逃げるな!!

本題に入る前に…3月11日に発生した日本列島の運命を真っ二つにした、東日本大震災…幸い、大阪在住のオイラは、ほぼ何の被害も無く過ごしているが、このBlogを書いている最中にも、東北では、そして関東でも太平洋沿岸では、届かぬ救援物資を待ち続け、寒い思いをしている人達がいる。中には、家族を失い、家も思い出も…何もかもを失い、更には福島の原発が爆発したモンだから、とばっちりで“被爆者”になってしまった被災者がいる。奇跡的に助かっても、あの瞬間に命を落しても、どちらも地獄だと思おう。でも、生き残った人々は、各々の使命があったからこそ、あの時点で死ぬ事が許されなかっただけ、亡くなった人々は…残念だけど、この時点で“その役目”を終わってしまっただけの話。だけど、その絆は、どんな力を持っても途切れる事は無い。亡くなった人々の想いまでも背負って、この難局を乗り切りましょう!! オイラ達、西日本に住む者も、気持ちは同じです。だって、同じ日本人なのですから…

で、本題に入るが、まったく困ったボスですなぁw そう、昨日の石原都知事の発言。いくらなんでも、暴言極まりない。一介の政治家…しかも知事という立場の人間が、被災者心情を逆撫でして“天罰だ!!”なんて言うのは、狂気の沙汰としか思えない。そんな者が、都知事選に出馬するって言ってる事自体、既に“老害”としか言い様が無い。(だから、その報いを受けtry…)
まず、被災者には何の罪も無いし、福島の原発だって、今回の様な複合的な要因(冷却機能が燃料切れで動かなくなったとか、いくら海水を入れてもどっかから抜けるとか…)が事故を引き起こしただけで、誰のせいでもなければ、その報いを受ける必要など無い。逆に言えば、そもそも原発が必要な状況…火力発電所の増加で大気汚染が酷くなった事や、首都圏に人口が集中し過ぎて電力の供給が追いつかなかった…といった事情があったからこそであり、もっと言えば、41年前の大阪万博で、できたてホヤホヤの美浜原発から試験送電した事から、日本の原発の始まりであり、そこから常に、日本人は“核の恐怖”とともに生活する様になった。(そこんトコは、コレを読んでくれ。)
でも、さっきも書いたが、そこには都市部での大気汚染が深刻化していた背景があり、特に四日市市の“四日市喘息”は、現代史の公害の歴史でもよく出てくる話である。(教科書にもよるが、水俣病イタイイタイ病新潟水俣病と並んで“四大公害病”と称される程酷かった。)オイラの住んでる大阪も、臨海地の石油コンビナート&鉄鋼コンビナートの排煙による大気汚染が深刻だった事もあり、そこで消費される電力を、近隣の火力発電所で賄っていた事が、大気汚染に拍車を掛けた。それが40年以上前…1970年代の話だ。そこから、大気汚染を少しでも和らげる為にも…と言う理由と、大量に電力を消費する生活スタイルへの移行を見込んで、より強大な出力を得られる“核エネルギーの平和利用”を模索した。その技術は、当時の米ソは既に確立していて、核兵器…つまりウランやプルトニウムから発する膨大な熱を、戦争時には“最終兵器”として、平素は“化石燃料代替エネルギー”として活用する様になっていった。(で、スリーマイルやチェルノブイリの悲劇が起きた訳で…)だから、日本もその先駆けとして、海洋国家…と言うより島国の特徴を活かして、軽水炉型の原発を開発したという訳である。そのモデルとして、美浜原発廃炉措置で解体中の“ふげん”(新型転換炉…要はMOX対応型軽水炉)があって、コレを関西電力(“ふげん”は日本原子力研究開発機構の原子炉なんだがw)が京阪神の電力供給に活用した…って訳である。(てか、なにげにこういう実験が好きだねぇ、関電ってw)
脱線しまくったが、要するに、今回の震災はまったくの“天災”であって、本来ならココまでグダグダになるハズが無かったのは、そのデータ自身が“単発的なモノ”を想定していたのであって、ほぼ同時タイミングで4つも震源を持つ様な“特異な地震”に対応し切れなかったまでに過ぎない。否、建物そのものは対応できても、中身の保安装置そのものが、その衝撃に耐え切れずに破損し、尚かつ政府がバカだから…もとい、周辺住民よりも原子炉を守る方を優先した為に起こってしまったのである。本来、周辺住民を内陸部まで避難させてから、あるいは、こういった不測の事態に備えて、近隣の避難所に核シェルターを設置しておいていれば、ここまで大騒ぎには…あ、風向きによっては意味無いじゃんw
ともかく、叱咤激励したつもりでも、相手を間違えてはいけない。被災者をバカにして、“天罰だ!!”と罵る事は、自分の政治手腕のマズさから責任逃れをしているのと同意である。むしろ、長である者がこういう態度だと、その配下の住民もそういうバカだと罵られて当然である。それこそ、“襟を正せ”である。