迷馬の隠れ家 はてな本館

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再録:異体同心で奇蹟を起こせ!!

一人の心なれども二つの心あれば其の心たがいて成ずる事なし、百人・千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず、日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし。(高橋入道殿御返事 異体同心事 一部抜粋)
要約すれば、“一人の心でも、邪念が多ければ願いが叶う事はない。大勢の人達でも心を一つにすれば、必ず困難をも乗り越えられる。(鎌倉時代の)日本は人は多いけれど、同じ民族でありながら気持ちがバラバラだから上手くいかない。日蓮門下の者は立場が違えど思いを一つにしてるから、メンツは少なくても、広宣流布という使命を成し遂げる事ができるだろう。どんなに悪が多くとも、一つの善に勝つ事はない、例えば火が大きくなっても水が掛かると消える。それと同じ。”と説かれている。

つまり、なんで菅内閣はこうも迷走するかといえば、要するに“民主党”自身もそうだが、形式上の組織が存在しても、その中身が統率されていない…言い方を変えれば、チームを結成しててもメンバー全員の思惑がバラバラで、方向性が定まっていないから、仲間意識が無い状態と言える訳である。だから、野党である自民党公明党に大連立を持ちかけても、誰も信用しない…というのがオチである。当然だが、民主党内も自分達が決めた長に対して、協力をしようとしないし、むしろお互いを“邪魔者扱い”してるモンだから、党全体の規律が守られず、あらぬ方向へ進んでしまう訳である。
そして、今回の国難からの復興に対して、最も足を引っ張っているのは、16年前の阪神大震災同様、東京のマスコミ陣である。地元メディアや救援を申し出ている各自治体、そして自衛隊や米軍等の海外からの支援部隊が、被災地で、あるいは福島の原発事故現場で懸命な作業をやっているにも拘らず、そういった現場から発信されている情報を遮断し、勝手な解説者を多数呼び込んでデタラメ解説を繰り返すモンだから、余計に情報が錯綜して混乱を招いている。そう、視聴率云々を競っている場合じゃないのに、そういうのに拘り過ぎて、救援活動を邪魔して、被災地の状況が更に悪化するスパイラルが発生しているのである。
今回の震災で、いち早く救援に動いたのは、いうまでもなく大阪や神戸といった阪神大震災を経験し、支援体制を整えていた自治体であり、宮城県も、たまたま現在の知事が自衛隊出身とあって、有事の際の受け入れ態勢を整えてくれた事が、スムーズな救援活動ができる事に繋がった。そして、アメリカ軍も、その動きに対応する為に、わざわざ原子力空母を仙台港まで航行し、そこを前線基地にして空路による物資輸送を行おうとした程である。だが、そういった部分を報じず、それどころかドサクサ紛れで政権能力がどうの野党の動きがどうの…と、どうでもいい話ばっか、しかも全国ネットで延々とやっているのだから、被害が少なかった関西以西の視聴者が呆れたのは、いうまでもない。もちろん、自粛や節電も、被災している首都圏のみならともかく、全然関係ないモノにまで呼びかけるとは、まさに38年前のオイルショックと同じ混乱を招いたのだ。
何度も言うが、日蓮という、元は貧しい漁師の家系出身の僧侶が、法華経をはじめとする仏教の教典を読み、参考資料として儒学や論説を学んで出したのが“立正安国論”であり、そこには、国というのは民あってこそ存在意義があると説いた。そして、この文言を信ずる人の手で日本を救う為に、他力本願で無責任な社会構造に立ち向かうのだと師子吼した訳である。その想いは、後に教育者の団体だった創価学会に引き継がれ、戦後の復興期に活動を本格化させたのである。学会に集う者は、それこそ今では教育者だけじゃなく、多くの職種と様々な立場の者が一緒になっている。だけど、気持ちの上で異口同音に“世界平和”を唱える者故に、有事の時には誰が指示する訳でなく、自らの意志で救援活動に勤しむのである。それらは常に、日常生活での部分で培ってきた、コミュニケーション力故の話。その差を生み出すのが、“異体同心”という精神的な指針である。
だからこそ、上辺の地位や、大義名分等無視して、本当の意味で“人の為に…”と、尽くせる姿勢が必要となる。ま、諦めそうになったのなら、思いの哮りをブチ撒けて、大声で叫んだら?