迷馬の隠れ家 はてな本館

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能ある鷹は爪隠す…大学の定義って何?

Twitterで、こんなやり取りがあったんで、ちょっと挙げておく。
自称大学教授が放送大学学長(東大名誉教授)に喧嘩売って涙目w
ま、相手をバカにするつもりが、却って自分がバカだった事を世界中に晒す結果になった訳だが、一番重要な事は、以前にも書いたと思うが、どんなにメジャーな大学で教授をやっていても、それを振りかざす様な輩は、所詮はその程度でしか、自分の“肩書き”を認識していない愚か者であって、逆にその“肩書き”に驕れる事無く、多くを学ぼうと志す者は、故に尊い訳である。

では、大学の定義ってのはなんだろう?大卒ばかりを求める大手企業に対して喧嘩を売るつもりで書くが、要するにそこは、生涯学習の場であって、“大学”というブランド名そのものに、価値は存在しない。つまり、社会に出てから実践的な教養だけで足りない部分を補う場であってこそ、大学という学問の価値が見出せるというモノ。どんなにマイナーな…否、学科や学部が貧弱な大学であっても、そこで学ぶ学生の、専門分野を学ばんとする志が高いかどうかで、その価値観が決定するのであって、名門であっても、その意識が低い大学生は、故に大学そのものの地位を汚す事になる。逆を言えば、いくらメジャーな大学を卒業したからといって、本当に優秀なのかどうかは、分野によっては別問題。
つまり、本気で“何を学びたいか”という根幹の部分が揺るがない限り、ドコの大学出身であっても、その価値は不偏であって、また、専門分野に関して精通している大学は、世間的にマイナーでも、得意分野に関して他の大学より抜きん出ているが故に、世界中の研究機関の者が、その知恵を拝借せんと頭を下げる事もある。逆に、世間でいう“ブランド”というのは、あくまでも過去の実績と、そこに在籍していた者の努力による証であって、それを“卒業生だから”とか、“現役教授だから”とかと言って振りかざす程、チープなモノではない。もし、そういう事をやるのなら、それは後輩と過去の偉人達に対する冒涜であり、ひいては出身大学の、あるいは所属大学の地位を落す事になりかねない。だから、本当に優秀な者というのは、自分の学歴や地位に驕れず、日々精進し続ける真摯な態度を保持してる者を指し、逆に“愚か者”というのは、恥を掻く事やバカにされる事を恐れて、相手を罵倒する事でしか自分の地位を見出せない者を指す。
考えようによっては、東大が秋入学を検討する背景に、“大学のあり方”を再度考える時期に来てると予測するのが賢明なんだろうと思う。事実、放送大学をはじめとする通信制の大学は、春だけでなく、学部によっては秋にも受講生を募集する。つまり、広く学問の扉を開ける事によって、多くの就学したい者の願いを叶える場であるからこそ、入学時期に拘らないのであって、卒業する事を目的としないからこそ、自分のライフスタイルに合わせた就学が可能になる訳である。言い方を変えれば、なんの努力もせずに、ただ地位や名誉を得んが為に大学を目指すなら、それは単なる堕落であり、肩書きそのものに価値等ない。つまり、“自分がエラい”という自意識過剰が助長するだけであって、世間をバカにしたいだけの話だ。
よって、どんな知識を身につけようとも、その使いどころを間違える様な輩には、大学の“本当の価値”を知る事等できないのであり、また、大学に通う分だけの時間を割いて、他のスキルを学ぶ方が如何に有益なのかは、社会に出れば一目瞭然。農業を知らない者がゼロから学ぶよりも、実家が、あるいは親類が農家をやっている者であれば、農学系の高校や大学に行かなくても、最低限度の技能を、しかも幼少期から身につける事ができる。漁業もまた然り。つまり、親の仕事を身近に見ている環境なら、本来なら無駄な学問を身につけなくても、職に困る事等ない。ただ、専門外の分野も学ぶべきだと考えた者だけが、畑違いな分野を学ぶ為に大学に通う事にこそ、本当の価値が出る。机上の成績だけで決まるのではなく、如何に様々な状況に対応できるか…それを学ぶ為に大学はあるべきであって、就職に有利だからとか、給与が、あるいは出世し易いといった部分は、ある意味“邪念”である。むしろ、そういう“邪念”の部分だけで、今の日本は成り立ってしまう程、国民も政治家もバカだったと言わざる得ないんだが…