迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

レール&ホース?!〜鉄な馬話〜 vol.4(軽便鉄道と馬の話)

カイル(以下カ):アローッハ、カイルっす。暦の上では春ですが、まだまだ寒い日が続きますね。
シン(以下シ):おはようございます、シンです。いよいよ3月3日から、中京競馬場がグランドオープンにになり、3月24日には1000万条件特別として、名鉄杯が2年振りに復活します。また、今週26日は、阪神競馬場阪急杯(G3)が行われます。
カ:いきなり競馬の話?
シ:あ、いや…たまたま、電鉄会社杯のレースが組まれているんで、ちょっとその告知を…w
カ:それはともかく…今回も“鉄道と馬”の話をやるわけなんだけど…って、なんでオグりんがいる訳?
オグりん(以下栗):ブルヒン…いや〜道子ちゃんがカワユくでだなぁ…
シ:コレを見ながら今回の話をしようと思ったんだけど…どうやら、オグりん好みの牝馬の様ですね。ただ、北海道和種(いわゆる道産子)ですから、サラブレッドと交配するにしても、体格的なモノが違うから…
栗:何言ってんだお? 芦毛で、しかも働き者のカワイコちゃんじゃないか!!サラでもなかなかいないだお、こんな牝馬(こ)って。
カ:(ノ宮`)アチャーいや…完全に本題から外れた話なんだが…

それはともかく、この番組内で大畑森林鉄道の話が出てきたんだけど、機関車が容易に入れなかった区間って、大概の場合、馬が牽引する事が多かったんだよ。
シ:都心でも、鉄道馬車というのがありましたね。
カ:函館でのロケでは、函館市電の歴史にも振れてますが、そもそも、路面電車の多くは、旅客用の運用に用いるか、山岳部の木材運搬用の軽便鉄道に使われる事が多かったんですよ。
栗:ん、検便?なにそれ。
シ:いや、検便じゃなくて“軽便”…トロッコの事だよ。
カ:貨物運搬で、軌道幅が狭く旅客向けではない鉄道形式が殆どなんだけど、日本の場合、どうしても地形の関係で、新幹線の様な標準軌(1435mm)で線路を敷設できる区間が限られていた事にあると言っても良いんだ。
シ:明治時代当時の建築技術…という注釈付きで、でしょ?
カ:その通り。特に山間部では、敷設の為にトンネルや橋を架ける必要性があって、しかも、殆どの場合は手掘り&手打ちという、非常に危険極まりなく、しかも手間が掛かる工法でしか作れなかったんだ。だから、大型の機関車を導入したくても、構造上、無理だったトコが殆どだったんだ。
栗:で、ボクちんらが牽引する“馬車鉄道”が一般だった…って事?
シ:いやいや…オグりんは通常時はポニーだから、大型貨物の牽引は無理だよ。でも、そもそも、鉄道の軌道は、その馬車を運行さえる為の軌道…轍(わだち)を用いる事が起源なんだよ。
カ:いや、そこの部分はボクが説明するつもりだったんだけど…ま、いいかw 古代のローマや中国でも、馬車に関していえば、轍を路線とする方法が一般的で、道路上に車輪が通る様、溝を掘った上で走らせていたんだ。ただ、地方や馬車を運営する事業者等が、諸般の事情で軌道幅を統一しなかった事が原因で、別の区間へ乗入れたくても、できなかったんだ。ま、そもそも、軍事的な理由で、わざと轍の規格をバラバラにしてたトコもあるんだけどね。
シ:その後、動力を馬や牛といった“畜力(ちくりき)”ではなく、単体で高出力を保持する機関車に切り換え、その重量と速度に耐えられる様に、鉄のレールで置き換えたんが、現在の鉄道になるって事ですね。
カ:…半分当りだけど、実際は、レールの方が先で、機関車…開発当時は蒸気機関車が主流だから、コレの導入は、イギリスでの蒸気機関システムの開発を待たなくてはいけないんだ。
シ:Σ( ̄審 ̄ノ)ノえっ…本当ですか?
カ:そもそも、轍は地面に直接、溝を掘っただけの簡単な作りなんだけど、それ故の弱点があるんだ。
栗:あ、土の上だから、雨降っちゃうと、ズブズブの不良馬場になるんだ。
カ:オグりん、ご名答w 雨や雪による水分含有量の変化が、走行路面の崩壊を招く恐れがあるんだ。だから、金属のレールを用いて、軌道の確保をやる事から、鉄道の歴史は始まったと言っても良いんだよ。だから、古くからの鉄道会社は、敢えて“轍道(てつどう)”と書く場合もあるんだ。
シ:つまり、馬を動力に使って、貨物や旅客をやっていた頃の名残…なんですね。
カ:その通りw だけど、関西の場合は鉄道馬車よりも先に、京都を中心に水力発電を用いた路面電車の運行が先行した事もあり、馬車と鉄道の結びつきが、あまり感じられない事が多いね。むしろ、関東では、大手私鉄が自前の発電所を持つ事ができずに、都市部から郊外にかけては、畜力での鉄道輸送が一般的だったんだ。
栗:で、山間部や沿岸の地域では、貨物輸送の観点から、軌道幅の狭い軽便鉄道が敷設された…って事でいい?
カ:オグりんの仲間達がいる、北海道・日高地方を走るJR日高本線も、そもそもは軽便路線として開通させたトコなんだ。むしろ、北海道の場合、炭坑や林業をメインだった頃は、鉄道網の整備が急ピッチで進められていたんだけど、高度成長期以降は、エネルギー政策の変更や輸入木材の方が安かった事もあって、元々貨物専用路線だったトコが、次々と廃止になったのは、ご存知の通りだと思う。もっとも、畜力での軽便鉄道に関していえば、小型の機関車が導入されてもいたんだけど、戦後のモータリゼーション化が進んで、トラックでの輸送がメインになった事もあって、次々と廃止になったんだ。
シ:そういえば…一昨日から西日本の原発が定期点検や諸般の事情で全部止まっちゃったんだけど、明治初期の頃から、関西は電気を使う文化だったと考えていいのか?
カ:そこんトコは、マスターの得意分野だから解説は任せるとして…元々、鉄道会社が動力源の確保として、自前の水力発電所を、沿線の河川に設けていた事もあり、また、その余剰を沿線住民の生活用、あるいは工業地帯での利用を考慮して売電していた事は、確かなんだ。流石、水資源が豊富な関西ならでは…といったトコかもしれないね。