迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

電気を使う限り“命”は消費される事実…

ちょっと先に、コレを一読してもらいたい。日本の仏教界の重鎮が、このような事を言っている様では、日本はますますダメになる。いや、真面目な話、科学を誹謗してる訳ではないが、肝心なことを忘れて原発を批判してる時点で、この人の仏法説話は聞く価値などゼロだと言いたくなる。大体、発電をやる為に、どれだけの“犠牲”が払われ、それを如何に防ごうとして、別の“犠牲”は発生したのか…

原発の事故はある意味、悲惨な結果であることは、福一の事故のみならずチェルノブイリも然り。しかし、核汚染されている地域は、公表されている部分など氷山の一角であり、ロシアやアメリカ、中国では、農地のすぐ傍が地下核実験場であった…なんてことがザラなトコであり、以前にも書いたと思うが、ビキニ環礁タヒチ近海なんて、フランスやアメリカの核実験場だった訳だし、そもそもそれらの“研証”は、広島と長崎に投下された原爆がきっかけであることは、歴史を見ても明らか。つまり、反核運動もその主旨を誤ると、折角の“平和利用”も、その実験すら禁じてしまう結果になる。
勿論、過剰な放射能が拡散することに関して恐怖を感じる方も多いが、生物が…否、すべての物体が“振動”をしている以上、何らかの放射性物質を垂れ流しているのは事実であり、その反応が途切れた時…つまり何らかの事情で振動が止まった時、急速に崩壊することになる。コレが、すべての物質が何らかの影響を受けて劣化する大原則であり、それを人為的に、しかも重金属にある“あるもの”を加速させて起こしたのが核分裂反応であり、それに適応したのが、たまたま自然界にも存在したウラン鉱石(天然ウラン)だっただけの話である。
放射性物質は何も、ウランだけじゃない。自然界にはラジウムラドンといったミネラル成分の一種として溶け込んでいる物質もある。つまり、人間の目で直接見ることも、触ることもできる物質だったのがウランだっただけの話であり、コレそのものが他の物質に影響を与えることがあると知ったのは、つい最近…つまり20世紀初頭の話だって事。そして、それらが健康に害を成すと言われ始めたのは、他でもなく原爆投下後の広島と長崎の犠牲者…つまり人類初の“ヒバクシャ”である。しかし、被曝者がこの世に出る以前から、鉱石内に放射性物質があって、それを採掘してた鉱夫達にだって、本当は被曝してた可能性はある。また、放射能を使って癌治療をやっている以上、放射性物質を単純に“諸悪の根元”とする事自身、本質をわかっていないと言わざる得ない。
つまり、人間が“快適生活”を満喫する裏側には、途方もない“命の浪費”がある…そこんトコをわかった上で論じないと、原発推進派、及び利用者を納得させることはできない。(オイラもその一人w)言い方を変えれば、原発事故で失った農地や漁場の数よりも、ダムを作ったせいで行き場を失った水棲生物や、火力発電を使うために採掘される石炭や石油のせいで汚れた空気を吸わざる得なかった呼吸器系疾患患者、また、その化石燃料の輸送中に発生した事故で漏れた油で飛べなくなった水鳥や、光が遮られ枯れた海藻、その油から発する匂いで神経がイカれた漁民などは、他の者に比べて劣るから別段ほっといてもいいのか?答えはノーだ。
以前にも書いたが、どっかで誰か(何か)が“犠牲”になる事でしか、今の繁栄は成り立たない。それだけ、今は人間の数が増え過ぎたことであり、それをどうにかしようと思った場合、その責任…否“生け贄”を引き受ける者がいない限り、その問題はタライ回しになる。何度も言うが、文明の利器を一切排し、狩猟と物々交換のみで生活できる程、今の地球は豊かではない。そして、放射性物質がまったくない農地や河川、漁場などどこにも存在しない。それでも、それを求むるなら、それに似合うだけの“犠牲”を、どこかで出さなければいけない。つまり、戦争してるヒマもなければ、間違った宗教思想や哲学を振りかざして脅す様なことをやってる場合じゃない。まずは“原点回帰”して、なんの為に科学があり、その中での失敗に怯む事無く開発を進めることに繁栄があったことを、そして、そこで犠牲になった多くの生物に哀悼の意を示さずに、文句ばかり言うのは、宗教家として失格である。そして科学者も、また然りである。
だからこそ、オイラははっきり言う。もっと歴史を学び、科学と社会の繋がりを知り、それを活用する知恵を身につけよと…