迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

月刊ヒデボー通信 2012年6月号

ヒデボー(以下ヒ):チョリーッス、ヒデボーっす。
ナイン(以下ナ):ご無沙汰してます、ナインです。
ヒ:というか…この場では初めてっすよね?
ナ:う〜ん…そういえばそうだねw 本来、僕はGQのメンツじゃないし、そもそも、マスターさんとは古い付き合いで、今日まで存在してるクチなんで…
ヒ:え、そんなに古いんですか?
ナ:かれこれ30年近い“お付き合い”だからね。ただ、新幹線や長距離バス等での移動なら良いんだけど、飛行機はちょっと…
ヒ:今、LCCという“格安運賃”で運行してる航空会社が増えてますけど…
ナ:いや…ちょっと“トラウマ”があってね。ま、その件に関してはいずれ話すとして、今回のネタは、“楽観主義”と“悲観主義”の違いをやって欲しいと、マスターさんに言われたんだけど?
ヒ:そういえば以前、マスターが某サイトで答えた事に関する“補足”をやりたがってる様なんで…付き合ってくれますか?
ナ:ヒマですから、いくらでも付き合いますよw



ヒ:某サイト上での質問内容の確認をすると、ネガティブ思考だから、ポジティブ思考の人間が羨ましい…って事なんっすけど、マスターに言わせると、そんなのは“紙一重”だと答えたんだそうです。それって、ボクはイマイチ理解し難いんだけど…
ナ:んじゃ、簡単な質問。ある日、交通事故に遭って怪我をしたら、それは“何”が原因だと思う?
ヒ:う〜ん…仮に自分に非がないなら、クルマをぶつけて来た相手を怨むけど、こっちも前方不注意や速度超過だったら…
ナ:それは“立場”の違いだね。まして、事故そのものは、どっちがどうという事関係なしで発生する事が多いから、その“責任”の割合を算出しようと思っても、双方で食い違ってくる。つまり、そこんトコを“喧嘩両成敗”として取り扱うなら、どっちも“悪”として裁かないと“平等”とは言えなくなる。逆に、どちらか一方“だけ”が“悪”だとして取り扱った場合、加害者が生涯にわたって損害賠償を払い続けても、それで“終わり”とは言えない。むしろ被害者がそれに胡座をかいて余計な事をしたら?
ヒ:あ…そういう事か。
ナ:俗に“恨み事”というのは、個人レベルの範疇ならともかく、それが末代までその“理由”を知らずに受け付いちゃうと、双方にとって“相互理解”をやるチャンスをも奪いかねないんだ。つまり、何らかの事案があって、それに対して自分自身が“どう捉えるか”によって“答え”が変わるんだ。この事を、マスターさんは簡単に“紙一重”という表現で示したんだ。コレとまったく同じで、楽観主義といっても、それに至るには、それ相応の“苦悩”があってこそ。逆に、悲観主義だからといっても、それは今までの経験上、何らかの“不具合”に遭遇したからこその不安なんだ。だから、考えようによっては、どんな悲惨な出来事があったとしても、それに対して、自分自身がどうあるべきかを忘れていなければ、乗り越える事ができるんだ。
ヒ:“どうあるべきか”ですか?
ナ:簡単に言えば、何らかの事件や事故があったとして、それに対する釈明に“想定外”って言葉を使う人が多いけど、実際に“想定外”だと思っているのは、考え方が一方的だからこそであって、反対側に回る事を忘れてたら、どんな事案でも“想定外”になるって事。だから、身障者だから無理ができない…という考え方だけで相手を見ていると、それが一番“失礼”な考えであるって事に気付かなくなるって事。ホラ、インターネットのブログ…っていうの?アレで、身障者の方が自分のハンデに関する自虐をちょこちょこ書いてる事があるけど、あれだって、事情がわかってる人なら笑えるけど、そうじゃない人には、そのこと自体が“不愉快”だったりするんだ。だって、自分が同じ立場だったら、恐らく侮辱されたと思うんじゃないかって…そこんトコは同じじゃないのに、それを“勝手に”決めつけてるから、差別だなんだと本人とは“無関係”な人が騒ぐ。僕から見れば、滑稽な話だね。
ヒ:要するに、人それぞれの感情があって、それをどう理解し合うのかがコミュニケーションの“胆”なのに、そこんトコを履違えて、自分の感情論のみで相手を見てる…って事っすか。
ナ:そうなんだよ…自分は親切心でやった事も、時と場合によっては相手にとって“迷惑”って感じる事もあるんだ。だから、楽観主義な人に悲惨な話をしたところで、それを“笑い”に変えられてしまうと恥を掻くし、悲観主義者に自分のドジ話をやっても、笑うどころかドン引きするケースも…そういう意味では、お互いが“逆の立場”で考える訓練をしてないと、すれ違ったままで終わる。だから、どんな慈善事業も、相手が本当に欲している事を施せるかどうかは、金銭的な事よりも、相手次第なトコがあるんだ。
ヒ:ちょっとタンマ。それじゃ、ナインさんのさっきの話と矛盾してません?相手次第だと言うなら、受け手は施し手の“言いなり”で良いんですか?
ナ:鋭いねw むしろ双方に“信頼”がないからこそ、こういった矛盾が起きるんだ。生活保護にしても、難民キャンプの支援でも、そして“途上国”とされる国々に対するODAのあり方でも、必要以上の事を施す事による“弊害”を考えた上で用いない以上、同じ過ちを繰り返す事になる。施しを受けた以上は、それに似合うだけの“代償”が必要だけど、それをどこに据えるかで、その答えも変わってくる…ダイエットもそうだけど、過剰な絶食や運動なんて、お酒と同様に“百害あって一利なし”だよ。それでも“健康のため”とか言ってるのは、自殺行為と一緒だよ。
マーティ(以下テ):悪かったね、自殺行為で…
ナ:え?(;゚д゚)ァ....そ…そういう意味じゃなくって…
テ:諸般の事情があって、強制的にカロリー制限してたけど、何か?
ヒ:(ノ秀-)アチャー マ、マーティ先輩…ヤケを起こさないでください。