迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

皮肉な“願いごと”

大飯原発の再稼動問題にしろ、東北3県の震災瓦礫処理にしろ、結局のトコ、いわゆる“放射能バカ”のせいで、何ひとつ解決しない様である。ま、それはそれで良しとしている連中に対して、ちょっとひねくれた話を…反原発脱原発を常々唱えている方々は、既にその“願い”が叶っている事に気付かないのだろうか?そう、福島の原発事故は、一見すると東電や政府のエネルギー政策が悪い様に思うが、実んトコを言えば、闇雲な“反対運動”によって、本来ならここまでグダグダにならずに、しかも最小限で被害を止める事ができる技術を確立させる事ができたのに、それに似合うだけの“代償”を自分自身が請け負いたくないばかりに反対しまくったせいで、福島県とその周辺自治体が、チェルノブイリ以上の被害を受けるハメになった…という事をw

つまり、既に“原発なんか潰れてしまえw”という“願いごと”は、皮肉ながら去年の震災で“実現化”してるのであって、これ以上の喜び事なんてないのだw 逆を言えば、本気で放射能…というより核兵器そのものを憎んでいるなら、兵器の開発と並行して、自衛の為の技術も確立されてて当然だったりする。もっと皮肉な話をすれば、実はアメリカ軍にとって一番の“難敵”だったのは、他の海軍よりも優れた造船技術を持っていた旧日本海軍の戦艦であって、事実、海上核実験でも、他の戦艦がボロボロになって沈没する中、日本から拿捕した戦艦は、3日経っても沈む事がなかったという記録がある。つまり、それだけの“防御力”のある戦艦を作り上げ、しかも核の被曝から船員を守れるだけのスキルがあったと言って過言でもない訳である。
逆を言えば、どんなに優れた技術を持っていても、その応用範囲が狭いと、使い勝手が悪くなるだけで、なんの意味も成さなくなるって事。原爆の破壊力だって、実際問題、その核分裂の仕組みが上手く働かなかったら、微量な放射線を狭い範囲で放出するだけで、街を丸ごと焦土化する程の影響を与える事はできない。つまり、濃縮ウランを使って膨大な熱を生み出そうとすれば、それに似合うだけの重力加速度を与えなければ意味がないし、プルトニウムに至っては、均一に衝撃を与えないと上手く核分裂を起こす事ができない代物である。故に、兵器として使うにも、実は細心の注意が必要であって、劣化ウラン弾みたいにすぐに使う事ができる程、実は安易なモノではない。正しく言えば、核兵器保有してるからといって、簡単に実戦配備できる程作る事ができても、実はそれを全て使いこなす事はできない。もっと言えば、調理器具やパソコンも、一流のモノが揃ってても、それに似合うだけの技量がない者が取り扱うと、すぐに壊れてしまう…
閑話休題。そもそも、放射能を恐れている人程、実は今までの生活を振り返って、反省する意志がない人が多い。特に芸術家や政治家を名乗ってる人程、実は結構世話になってい事を知らずに“暴言”を吐いているのである。そんなに原発を嫌うなら、どうぞ、自分トコが保有する敷地や建物に、太陽光や風力、地熱等の発電装置を付けなはれw そういう事をやる為に、庶民から税金やギャラをぼったくってるんでしょ?だったら、そういうのに使いなはれ。貧乏人である者は、そういった施設を作る事も、まして設置するだけの土地もないですし、自分で電気を作れないからこそ、電力供給会社に頼らざる得ない訳であって、自分らがそこまで駄々捏ねたら、本来守られるべき、そして支えてくれるべき民がそっぽ向いて当たり前ですよw つまり、逆を言えば、最初から電気に頼らずに、しかも昔ながらの生活を延々とやっていたなら、ここまで文句を言われない反面、人口増加と産業発展に伴って膨大な資源の消費が予想されるだけに、とっくの昔に枯渇した可能性が高い。いくら、地下資源が豊富にあると調査でわかっても、それを採掘する前に、余計な戦争が勃発するのは目に見えている…そうなれば、今度こそ地球は、それこそ終末思想に囚われた者の“ご期待通り”に滅亡してしまうでしょう。
今は亡きワンガリ=マータイ博士は、ケニアの女性たちにイチジクの木を植樹する事を提案したのは、根本的な解決策は、自分達自身がやるべき事であって、政府や世間のせいにして何もしないまま放置する事が、却って悲劇を大きくさせると考えたからこそである。もっと言えば、本当に何もかもが失われて、誰かの助けを待つだけでは、結局のトコ、何も救われないどころか、状況を悪化させるだけだ…と、訴えたのである。最初は多くの女性が参加を拒んだ…そう、自分“だけ”が救われたいが為に、先人達の“想い”を踏み躙っている事に気付かなかったからである。しかし、マータイ博士は後世の人達が困らない様にするには、自分達が何を残してやるかに掛かっている事を訴え、そして、イチジクの木を植え続けた…この運動は今、世界中で125億本もの植樹がなされた。そう、本当は、農家や漁師がこういった事に関して積極的に取り組んでいれば、当然ながら安易な“経済至上主義”に世界が支配される事はなかった。しかし、今のEUの経済危機も、日本のデフレ不況も、根幹的なトコは同じ…なのに、誰一人としてそれに気付いていない、否、誰一人として真正面から考えようとしなかった。だから、どんな小手先政策をやっても、一過的な効果のみで、なんの解決策にもなっていない。
だから、ただ単純に反対運動するのは良いが、その前に自分がやるべき“使命”に気付き、目的意識を変えない事には、誰一人として納得する事などできない。逆を言えば、他に原発を抱えている自治体にすれば、(北海道はともかく)“生産地≠消費地”という図式がある以上、利用者自身が原発に対して文句言うのは“筋違い”だと言われて当然の事を、近畿の各自治体の長がやっちまってる訳で、それを福井県知事が批判してる事に気付かねば、なんの問題解決にもならない。むしろ、原発がある以上は、使わなかったら福井県そのものが、また貧困に喘ぐ事になるし、まして廃炉作業をやるにしても、それに似合うだけの費用負担を“利用者”自身が負担しないのはおかしな話。東電の電気料金値上げに反対するなら、いっそ、その送電線を切った方が良いよ…とオイラが言ってる“真の理由”はそこにある。そう、電気を使う以上、その発電方法によって土壌や大気、そして水が汚染されても、それは文句言えない。むしろ、そういう文句を言えるだけの行動をやっているなら、それ相応の見返りを求めるのは当然の話。だから、瓦礫の受け入れを拒否するなら、その分だけそれ故に自分トコが被災しても、それは自分らで処理しろよ…って事になるし、原発の即時廃炉を求めるなら、それに似合うだけの技術の確立と、処理費用を負担してこそ意味を成す。それを他人に訴える事程バカげた話はない。そして、今のデフレをどうにかしたいと思うなら、まず、自分の生活スタイルを見直した方が良い。社会保障に関わる負担が大きいなら、負担を軽くする代わりに支給額が削減されても文句を言うべきではないし、逆に生涯にわたって保障されるべきだと訴えるなら、それに似合うだけの税負担は、どっかで負わなければならない。それを嫌うアメリカの富豪達は、挙ってスイスに逃げているというw(貧困層の分まで負担する事がバカバカしいというのが理由らしいw)
根本的な意識が変わらない限り、自分達が思い描く“未来”は、実現する事等あり得ない。むしろ、単純過ぎる“恨み事”は、それ故に願いとして叶ったとしても、ちっとも嬉しくなくて当然。だから、安易な反対運動をする前に、どうすれば“チェルノブイリの悲劇”を繰り返さなくて済むか、よくよく考えて欲しい。単純に潰せない代物である以上、安易な恐怖心に駆られるよりも、廃炉まで安全に、しかも災害に強い構造を確立させる方が、むしろ賢明だと、オイラは考える。だから、廃炉の為の技術を確立させる為にも、原発は“必要だ”と叫ぶ。それによる批判は、大いに受けましょう。但し、著名な方が言っていたからとか、専門家が言ってたからとか、いわゆる“他人の言葉”で意見するなら、お門違いである。だって、自分の考えで行動してる訳じゃないから…