迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

先に片付けるべき“問題”は何か?

何度もこのBlogで、そしてTwittreで書き込んでる通り、オイラは安易な“脱原発・反原発”の考え方に対しては理解する以前にバカにしてるクチである。てのも、何度も言うが、本当に電気を必要としない生活を実践してるのであれば、その声に賛同できるものの、その実践ナシに訴えている事こそ、バカバカしいと同時に、恥ずかしくないのかと考えてしまう。放射線被曝が恐ろしいと言っても、よくよく考えたら、原爆で被害を受けた広島市民や長崎市民は、それでも子孫を残せてるし、チェルノブイリ周辺の人々も、30年近く経ったといっても実際に過剰な放射線被曝が直接の原因で亡くなったのは、1割にも満たない。(てか、原爆と原発事故の大きな違いは、膨大な熱量と放射性物質の拡散が一過的なのか永続的なのかであって、単純比較ができる代物ではない。)そこんトコを踏まえた上で言ってるのであれば、絶対数が違う上に、既に原爆が実践で使われた以上、地球上の生物は、何らかのカタチで既に被曝してると見做すべきであり、今更そういう“バカげた事”を訴えたとしても、手遅れである。むしろ、寿命が短くなっても、子孫を残せるのであれば、その恐怖に打ち勝つ事ができる…という事に気付かないといけない。

昨日のネタでもマータイ博士の事を紹介したが、彼女が言う“MOTTAI-NAI”という精神は、つまるところ、旧来からある生活習慣は、先人達が後世の人々に残した財産であり、永続的な反映の礎であり、それを放棄して安易な経済至上主義…つまり、金銭授受による取引に振り回されている事が、地域の環境劣化を招いたと考え、それを緩和・改善する為のきっかけとして、荒れ地に木々を植え、それによる再開発を訴えた訳である。逆を言えば、本当の“財産”とは、歴史を振り返っても、名の無き庶民が連綿とやってきた“共有と管理”が基礎であって、各々の役割と使命がある以上は、それに集中すれば良いだけの話であって、本当の改革とは、要するに“原点回帰”である。ただ、そこに階級やスキルによる格差で“人員管理”をやっているからおかしくなるのであり、また、貧富の差にしても、要は肝心なトコで手元の財産を自分自身で管理できてるかどうかであり、そして、使いこなしてこそ意味を成す。逆を言えば、どんなに裕福で生活に“困らない”とされる資産家であっても、あんまりケチケチした生活をやってる様では、その資産目当ての犯罪に巻き込まれるだけでなく、その資産が原因で“一家和楽”という“究極の幸せ”が崩壊しかねない。否、実際に今の家族に“一家和楽”という姿が消滅したのは、経済至上主義、そして成果至上主義で振り回された挙げ句の果てと考えても良いのかもしれない。
何度も言うが、有事の時に動ける人は、過去にそういった経験があって、それらは日常から、しかも何気ないトコで訓練を積み重ねているからこそ動けるのであって、そういう事をバカにしてる連中程、緊急時には“役立たず”のレッテルを、現場で貼られるのがオチである。つまり、被災地で実際に活動してる連中からすれば、東北三県の被災地にとって一番やるべき事は、放射性物質が付いていようがどうしようが関係無く、山積みになった瓦礫をいち早く撤去する事であって、除染や原発廃炉なんて、そんなのは瓦礫処理か片付いてからでもできる話。それに対して“放射性物質をバラ撒くな”とほざく連中は、被災地をバカにしてる愚か者でしかない。そして、大飯原発の再稼動に反対する連中も、それは同じ事。まず、本当に“解決”させるべき問題はどこなのかを履違えてる様では“福島の悲劇”は終わらない…それどころか、本当に生命の危機に晒されている状況下の患者や怪我人の“救済措置”を、電力不足という理由だけで見殺しにするなら、よっぽど罪が重い。いや、もっと言えば、不当な差別や侮辱を許さないと拳を上げている人程、実は多くの身障者や差別を受けてる人々を、余計に傷付けてるのである。
だからこそ、本当の意味での改革は“心の財産”を如何に守るかであって、金銭や実績なんかじゃない。そんなモノは“過去の栄光”であって、現在進行形のモノではない。どんなスキルも、実践から遠退けばやり方を忘れるし、日々精進してこそ使えるモノであって、土壇場では、その差が歴然となる。競馬の実況アナもそうだが、地方の実況アナと中央の、しかもラジオNIKKEI以外の放送局のアナとでは、そのスキルは別格。しかし、それ故にハンデもある。吉田仙人は園田と姫路では経験が豊富だから、ある程度なら今でも実況できるが(いや、今も現役で実況してるんだがw)、それ以外の競馬場では、(右目のハンデもあって)実は他の実況アナよりも“ヘタレ”になる。きよぽんも、今でこそ実況をから離れてるからアレではあるが、それでも条件さえ整えば、阪神や京都のレースはフルでもできる。しかし、他場…しかもナイター開催の大井や川崎等では、老眼である事も考慮すると、かなり厳しくなる。(そういう点では、むしろ及川サトルアナの器用さは、ある意味秀逸w)コレと同じで、いくら経験があるといっても、主戦場が変われば、そのハンデは大きくなる反面、得意分野に関して優れている場合は、必然的にそっちの部分で期待されるから、それ相応に対応できない様ではプロとは言えない。それを忘れていないからこそ、吉田仙人もきよぽんも、多くの競馬ファンから、そして同業者からも愛される存在である訳で…
閑話休題、過去の栄光に縋り、そして驕れる輩なんぞ、結局はド素人以上に“役立たず”であり、常に自身の精進を忘れぬ者は、たとえ経歴が浅くても、最前線では“頼れる存在”になる。そして、問題の“本質”を履違えない以上は、どんな手段を使っても救済は可能であって、それは時間との勝負でもある。もしも自分自身が通り魔に襲われ、深手を負ったら、まず何をすべきであろう?普通に考えるなら、傷口を押さえたり、悲鳴をあげて助けを求めたり…ともかく、犯人の事より自分の命の心配をするのがスジというモノ。しかし、脱原発・反原発を掲げる人々は、まったく“真逆”の答えをやっている事に気付いていない。解決すべき問題が目の前にあっても、それを無視して叫んでいる以上、誰一人として救う事はできない。そう、彼等は思慮深い事が仇となり、本来救済されるべき被災者を、むしろ見殺しにしてる“大悪人”なのである。今、本当に解決すべき問題を履違えている以上、オイラが原発依存からの脱却を叫ぶ連中に対して、その運動に賛同する事はできない。当然だが、捕鯨に関する事も、抵抗勢力を武力で鎮圧しようとする国家も、そして、なんの努力もせずに我侭を言う庶民に対しても、オイラは“ふざけんな!!”と叫ぶ。大切な地球を想うのであれば、根幹の部分…自分自身を変える事から始めずに他人を罵倒する事程、愚かでバカバカしい話は無い。そして、それ故に哀れでしかない。全ての事柄は、自分がやるしかないのだから…