迷馬の隠れ家 はてな本館

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“いじめ”の本質…基本的な話

これはオイラの経験上での話であって、一般論とは若干違う。参考程度に読んでもらいたい。ただ、基本的に、学校でのいじめの根幹には、その“親”自身が関連するケースが多々あり、それがわかってると、いじめられっ子自身、生涯にわたっての“報復”を検討する余地ができるというモノ…ま、オイラはそれを実行する前に、真面目に叱ってくれる教師がいてくれたからアレだが…

では、何でいじめっ子の親が関係するのかって言えば、実はいじめを“実行する者”と“指示する者”には、ちょっとした人間関係がある。しかも、小学校の場合、学区内での“地位的力関係”というのが大きなウエイトを占める事が多く、それを真に受ける子供が“ボス猿”になる訳である。
オイラの感覚で言えば、まず一番“エラい”のは、政治家の“ご子息”という地位。但し、国会議員レベルだと大概は私学に行く為、この範囲ではない。むしろタチが悪いのは、市町村議員レベルの場合。しかも、政治活動は“副職”であって、本業は医師や弁護士、更には地自体の役員だったりするケース。つまり、裕福であり、地位もそこそこある様な“貴族気触れ”な子供が、“なんかあった時には親が潰してくれる”的感覚でやってる事が多い。当然ながら、親自身も子供がなにしてるか一切興味がなく、たとえ保護者会で問題を定義されても、軽く無視するどころか、自分の子が“加害者”として訴えられても、逆に訴えた者を“始末”しようとする傾向がある。但し、コレの祖父母が厳格な人である場合、親仔二代に雷を落して“強制終了”というパターンもある。逆を言えば、本当に人格ある政治家である場合、自分の子が“加害者”であるとわかった時点で、むしろ子供を“躾”という名で虐待する事もある。つまり、子育てそのものが下手な人が多い。
次に多いのが“社長の息子or娘”というヤツ。コレも、国会議員レベル同様に、本物の資産家令嬢or子息である場合、無理矢理私学に放り込むか、海外の日本人学校へ行かせる事が多いが、問題なのは企業の“雇われ社長”レベル。当然、親は結構苦労してその地位にあるのだが、それを笠に着てる事が多い。町工場のオヤジ系もしばしばそういう態度を取るバカが多いが、ある日、事業の失敗や取引先のトラブルに巻き込まれると、普段のいじめられっ子より惨めになるからまだ良いが、なまじ親の肩書きが“社長”というだけでふんぞり返るんで、結果、政治家クラスのガキ同様に、親の肩書きを“自分のモノ”と勘違いする。但し、親がその地位が何らかなカタチ…不祥事の責任を取らされたり、業績悪化を理由に倒産したりで失うと、結果として子供が自分でその地位を保持しようと暴力に訴える事になる。コレで発覚すると…ま、先の無差別殺人よろしくな転落人生を歩む事も。
そして、ごく稀にいるのが、医師・教師といった“学者の親”である場合。そういうトコの子供は、学校での成績も優秀だし、知名度はなくてもそこそこ裕福な生活をやっているが故に、刺激を求めていじめをやるケースが多い。ただ…こっちの場合は頭脳派だからこその悩みがあり、いろんな意味で“完全犯罪”をやってのける事がある。が、実は一番“実行犯”になり易いのはこのタイプで、裏を返せば、“親にかまって欲しい”あまりに問題を起こしてるケースが殆ど。
大概、いじめの“主犯格”は、この3パターンのどれかに当てはまる。つまり、自分の地位はあくまで“親の実績”であって、自分の実力ではない事を知らない子が、目に見えるカタチでのいじめを実行する訳である。そしていずれのケースも、大概は親が“自分の事で精一杯”過ぎて、子育てを“放棄”してるケースが多い。つまり、親が“親”としての役目を勘違いした結果、子供が罪を犯す…というヤツである。コレは何も、いじめだけに留まらない。よく、学校の成績を苦に自殺するケースがあるが、この3パターンの“いじめっ子”にも該当する傾向がある。つまり、子供の“ストレス発散”の方向性が“あらぬ方向の二択”になった場合、ある程度の力関係が維持されていると暴力に訴え、それが乏しく、ただ忍耐のみで過ごした場合逃げ場を失って…って訳である。
いじめを苦にして自殺するこの殆どは、周囲に援護してくれる“味方”がいない。もっと言えば、人間不信故に“同世代の親友”がいない。オイラみたいに、親友はいなくてもなんとかなる場合は、周囲の大人が話し相手になったり、ストレスの発散場所をいくつか持っているからこそなんとかなる。が、自殺してる子の共通項は、究極の“お人好し”である事。つまり、自分の親に、担任の教師に、更には地域に人々に迷惑を掛けたくない、一人でなんとか解決させたい…そう願うあまりに、問題そのものを一人で抱え込み、最終的に自分自身を死へ追いやっている訳である。だが、そこんトコを見抜き、キチンと指導してこそ初めて親として、師匠としての価値が出るのであって、肩書きだけで子供を育てようとする方が、却って子供の人格が歪むのである。
忘れてはいけないが、相手を敬うのであれば、決して肩書きや財産を見て態度を変えてはいけない。一人ひとりを想う“優しさ”を有してるのであれば、それこそ対等な立場で、対等な意見交換をやるべきであり、被害を受けたからとか、気に喰わないからとかといった“自分自身の都合”だけで、相手を見下してはいけない。もちろん、どんなに世間的地位が優れてても、庶民を見下す様な者である以上、批判されてるのは当たり前の話であり、まして、自分の子供がかわいいからと、我が子が“加害者”である事を否定する様では、世間的にも“親失格”である。真の意味での“不知恩の咎”とは、今の自分があるのは、過去にどれだけ親が苦労し、また、世間がどれだけ自分を見守ってくれていたかを知らない…否、わからない事である。それを子供に負わせたくない…と想うなら、時として心を鬼にして、面と向かって叱ってやること。それだけで子供は、自分の親を一瞬は恨んでも、自らが“親”になった時に、その意味を知る事となる。それが本来の、“親子の絆”なんです。