迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

いじめられっ子よ“加害者"になれ!!

上記のタイトルで“何をまたトチ狂った事を…”と思った方、いじめ問題での根本的な解決策は“喧嘩両成敗”です。つまり、ただ受け身ばかりとるのではなく、“窮鼠(きゅうそ)猫を噛む”的な発想が必要なのです。ここんトコ、学校でのいじめによる自殺がクローズアップされているが、自殺する子の殆どは、以前にも言ったとは思うが、究極の“お人好し”であり、他人が傷付く事よりも自分がいない方が“世間的に良い”と判断している傾向がある。しかし、唯一欠落してる事は、本当に悲しんでくれる人が一人もいないという事は“ない”という感覚である。つまり、自分の痛みを訴える相手がいないからこそ、相手を簡単に傷付ける事を厭わなくなっている訳だ。だからこそ、本当は“やったらやり返せ”と教えてやるのがスジというモノだったりする。

オイラの場合、最初(幼稚園児代)の頃は、保育士も“遊び”の範疇と思っている部分もあるが、それでも他人を傷付ける事に関して、真剣に叱る事もあった。が、小学校に上がると、現行犯でない限りは、教師が把握できない…という事もあって、より陰湿に、そして激しさを増す事になる。特に、オイラは男児10人からの集中攻撃と、女児の数人から無視されるというモノが殆どだった。男児の場合は特に、殴る蹴るもあるが、それ以上に教科書を目の前で破ったり、中庭の池にランドセルごと放り込まれたり…と、ある意味“器物破損”レベルの被害を受けた。もちろん、頭から墨汁をかけられたり、制服(スカート)をはさみで切られたり…そんなのは日常茶飯事だった。
でも、オイラはそういった相手に対して、一人で殴り返した。時には机を投げ飛ばす(!!)なんて事も…でも、大概叱られるのはオイラの方で、向こうは“被害者”ヅラをする。でもそれは始めのうち…である。同じ事が繰り返されると、流石に親も勘付くし、教師もバカじゃない。そして事実関係がはっきりすると、授業を止めて2時間以上、この問題についての“反省会”と称したHRが行われ、そして“真犯人”が泣く事になる…という訳である。
つまり、本気で問題を解決させようと思ったら、ただ耐えるのではなく、時には爆発していいと思う。学校生活において、完全無欠の“優等生”を演じる必要性などない。むしろ“落ちこぼれ”のレッテルを貼られる位が、社会の荒波に出た時に有利になる。オイラの場合、故に“友達”を学校では作らなかった。むしろ、社会…というか、相談できる“大人”を味方に付けた方が、本当に困った時に助かる事が多いからだ。そして、いくら学校で“ボス”になっても、所詮は学校内での順位であって、社会ではそれは通用しない…否、通用すると思って同じ事をやるから、大概は苦労する訳である。
だから、いじめを受けたらな、そのままではなく、問題を更にエスカレートさせて、自分も一緒に叱られる方向へ仕向けた方が、加害者側も、事の重大性に気付き易くなる。そう、自分が“叱られる”理由が解らないからこそ、逆にその理由そのものをはっきりさせる“目的”で、敢えて“加害者”になってやる事も必要なんです。やられた相手の“痛み”がわからない“相手”ですから、それを教える唯一の方法です。

但し、絶対にやってはいけない…本当の“加害者”になってはいけない事として、二つのポイントを挙げときます。ひとつは、通学時にわざと走行中のクルマに目掛けて“突き飛ばす”様な行為…当然コレでは“復讐”といっても、世間には通用しません。だって、殺人行為ですからねw いくら自分が“死ぬ程の行為”を受けたからと言って、相手の命を奪うのは、いろんな意味で“反則行為”です。もうひとつは、“部外者”を巻き込まないこと…事は全て“当事者の事情”ですから、本当の“加害者”を追い込むのに、ネットの野次馬が“捜査”協力する事は、逆効果になりかねません。“大津いじめ事件”も、その様相を呈してます。あくまで当事者…つまりこの場合は“加害者”本人と“被害者”遺族、そして現場にいた教職員以外は、全て“部外者”です。(越大津市長も、ここでは“部外者”…いくら大津市の“不祥事”といっても、事実関係が把握できない人が“責任者”としてしゃしゃり出る事は、逆に事態をこじれさせます…福一の“事故”同様にね。)あくまで“加害者”が事の重大性を認識できていないのであれば、それに似合うだけの社会的制裁をどっかで受ける事になるんで、それまでは絶対に“部外者”は手を出さない事です。ま、自分の罪の意識が乏しい人程、最後は過去に積み上げた“大罪”によって身を滅ぼすんだけどね…
自殺を考える前に、自分でできる“抵触ギリギリ”のしっぺ返しを“加害者”相手にやってやる事で、問題そのものが表面化します。どんな事も水面下で、しかも陰湿化すればする程、解決に時間が掛かり、結局“逃げ得”になってしまいます。自分自身で問題を表に引き摺り出し、そして、“肉を斬らせて骨を断つ”位の覚悟で訴える事こそ、確実に、そして、加害者を追い詰める事ができるのです。追い詰められた者程、その“覚悟”の差がはっきりと出ます。本物の“臆病者”は、逃げられない状況故に“自害”をします。それを“良し”とするかどうかは、被害者自身の“胸算用”です。お人好しなら自害する前に止めるでしょうが、本気で恨みがある人は…お察しくださいませw