迷馬の隠れ家 はてな本館

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チルトの他事掻論?! 〜死刑制度を考える〜

平成16年に奈良市で小学1年生の女の子を誘拐し殺害した罪で死刑が確定していた小林薫死刑囚ら3人に、死刑が執行されました。
今の安倍政権が発足してからの死刑が執行されたのは初めてです。
法務省によりますと、谷垣法務大臣は3人の死刑囚の刑の執行を命じ、21日午前、死刑が執行されました。(以下略…by:NHKニュース 2013年2月21日13:06)
チルト(以下筑):こんにちは、紅火のチルトです。
マーティ(以下テ):こんにちは、マーティです。
筑:さて、我々がコンビを組むという事は、今回は法律…特に、刑法に定められた極刑である“死刑制度”について、人権擁護の観点と犯罪抑止についてやっていきたいと思う。
テ:先程のニュースでも取り上げた通り、今日の午前、死刑判決が下り、刑が確定してた3人に対し、執行された…って事ですね。
筑:うむ。本来、死刑は裁判所で刑が確定したのち、法務大臣の執行手続きをもって行われるモノであって、諸般の事情で、現在でも130人程が“執行待ち”になっているとの事だ。
テ:“執行待ち”って…また、問題アリな発言ですね。
筑:いやいや…“諸般の事情”としたのは、冤罪の可能性がある事件で死刑判決が下った、いわゆる“推定無罪”の人もいるから…というのと、他の事件に関与してる疑いがあり、単発での“刑の執行”は軽率という事情がある人もいるからだ。
テ:つまり、未だに“審議中”という状況での刑執行は、事件の捜査に影響が出る…という判断での話ですよね。
筑:ん、ま…そういう事になるな。

テ:今回の3人はいずれも、裁判での刑の確定から、比較的早い段階での執行となった様ですが、いずれもその理由が“更生の余地ナシ”という判断…ですね。しかし、先程もあった様に、彼等よりも先に死刑宣告があったにも拘らず、未だに執行されていない死刑囚もいますが、これはどういう事でしょう?
筑:さっきも説明したが、言ってみれば“諸般の事情”って部分に含まれてる訳だが…他の事件に関与してる場合…例えば“オウム真理教”関連の事件に関して、個々の事案で死刑判決が出てる者もいる訳だが、事件の全体図が、未だにはっきりしていない点も多い。それ故に捜査上の“証言”が必要であり、その分だけ刑の執行そのものが遅れてる…と考えるのが、一番スマートな考え方と言えるだろう。もちろん、他の理由もある。日本赤軍関連でもそうだし、もっと言えば“冤罪”の可能性があって、差し戻し裁判をやっている人もいる。
テ:いわゆる“名張毒ぶどう酒事件”ですよね。
筑:事件そのものに関しては、ここでは詳しく解説しないが、実際に証拠品の再鑑定をすると、被疑者とは違うDNAの型を持つ血液や唾液等が付着していた事で、再審議となった訳だ。
テ:でも…既に事件そのものが半世紀近く経ってる事もあり、真実は既に“闇の中”な状況ですよね。
筑:まして、検察や警察で保管されている遺留品の管理が結構杜撰だったりするんで、証拠そのものが捏造されている可能性もあり、信憑性がない…という部分もある。そこの部分での“再捜査”がある分、刑の執行には慎重を期す訳である。が…被害者遺族にとっては、むしろ刑の執行に関して、賛否両論な部分もある。
テ:刑の執行に関して…ですか?
筑:大まかにいえば、刑の執行までに“犯行動機”を知りたいという遺族と、判決が出た時点で早急にすべきだという遺族とで、その意見は真っ二つに分かれる…と言っていいだろう。
テ:つまり…加害者の“深層心理”を知りたいという人と、被害者自身の“恨み”を晴らしたいという人で、意見が分かれるって事ですか?
筑:そういう事になる。事実、死刑ではなく“無期懲役”という判決に対し、被害者遺族が不服を申し立てる様な状況なら、後者…つまり“即時刑執行”という怒りというか、憎しみに駆り立てられている人がいる反面、執行までの日数が早いと、事件の真相を“闇に葬られる”と感じる人は、前者であり、相手の話が聞きたいという心情がある。ただ…ここ数年見かける死刑囚の殆どが、正直、自殺願望に近い部分での犯行であり、また、前者はそんな者にとっても、更生の道はあるハズ…という概念がある。しかし残念ながら、以前マスター殿がおっしゃった通り、自殺願望の成れの果てでの凶行である以上、死刑の代わりに終身刑的な事をやるにしても、その“受け皿”がない以上、税金の無駄になる可能性もある。そういった意味では、アムネスティには申し訳ないのだが、“被害者の心情”を踏まえると、ある意味、死刑もやむない場合もある…あくまで、通り魔的な無差別殺人とか、性癖からくる猟奇殺人に限った話としてだ。
テ:つまり…精神疾患が起因となる犯罪に限って…って事ですか?
筑:それは“別モノ”の話。むしろ、それが犯行の原因だと断定すれば、それこそ、様々な事情で精神疾患に悩まされている人達の“人権侵害”になる。そこの“線引き”こそが難しい訳であり、逆に、それが明確にできるのであれば、何らかの救済方法があるハズだ。しかし…現時点でそれを施すには、訴えるだけでなく、実証を伴う行動が必要になる。
テ:つまり、闇雲に人権擁護の観点だけで死刑制度を“非人道的だ”と糾弾するには、却ってそれに似合うだけの“模範解答”が必要だという事ですか?
筑:マスター殿の言葉を借りれば、そういう事になるな。原発問題にしろ、領土問題にしろ、歴史の問題にしろ…どんな問題でも、それに対する“反対意見”というヤツをキチンと精査しないと、却って問題が拗れる事になる。ただ…それが本当に正しかったかどうかは、その時点でないとわからない事であり、現時点で“間違い”だとして切り捨てても、それがどういう“役割”だったかを知っておく方が、選択の余地を広げる事になる。もっとも、そういう風に考える為の知識や経験は、若い時期にどれだけできたかに掛かってくる。つまり、学童時に、どれだけ法律や社会マナー、更には様々な分野の思想や法則を理解し、異文化や人と交流を深めたかによる部分が大きい。
テ:逆に、そういった交流が少ないと、情報も限られてくるし、選択の余地もなくなる…って事ですね。
筑:ケースバイケースな部分もあるが、基本的な事を言えば、可能性を信じてやれるかどうかは、本当に人それぞれであって、そこを否定し始めると、結果的に“存在の否定”になる。可能性の否定が続けば、それは“所在の不確定”にも繋がり、そして…最悪の事態とは、常にそういった事の繰り返しなのだろう。それに、死刑が執行されたからと言って、問題そのものが解決するとは限らない。
テ:そうですね…でも、少なからずとも被害者遺族が“加害者”になる事だけは防げる…という一面もあるって事ですよね?
筑:その通り。本当の意味での人権救済を考えた時、ついつい“加害者”の側に立つ人が多い様だが、本来は“被害者”の方に立つのがスジであって、日本の刑法における“死刑”は、そもそもは双方が“法の下において平等である”事を維持する為の制度でもある事を踏まえていないと、論議そのものがなんの意味も成さなくなる。
テ:難しい話ですね…
筑:当事者同士でないとわからない部分…そこを第三者がどう受け止めて判断するかであって、その為の刑事裁判であり、そこに偽りがあってはいけない。そして、どんな刑罰も加害者自身が更生する意識がなければ、執行しても意味がない…本当は、人間…否、“人”として生きる意義をキチンと学ばない限り、どんな施しも無意味なのかもしれんな。

テ:という訳で、今回はこの辺で、お相手はボク、マーティと…
筑:紅火のチルトでした。