迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

メディアリテラシーの問う前に…

最近、巷では虚構新聞なるサイトのネタが問題になってる部分がある。とはいえ、このサイト自身、元々ブラックユーモアの塊であって、世相や情勢に対する皮肉や批判がネタの根本になる。そこんトコを弁えた上で読む分には、充分に面白いネタであって、下手な漫才や落語よりも笑えるサイトである事は間違いはない。しかし、こういうのに対して目くじら立てて批判してる人らの“笑いのセンス”ってのは、どうもサイトの主(UK氏)よりも劣ってるのではないかと疑わざる得ない…てか、そういう人に聞きたい事がある。あなたはいつ以来、笑っていませんか…と。

メディアリテラシー(情報の倫理)というモノの考えは、基本的に情報の内容に“嘘”があってはいけない…というのは前提であるなら、このようなサイトは、当然“悪”のレッテルを貼られるのは不可避である。しかし、大手マスコミ自身が誹謗中傷をやってる状況で、それは絶対に“悪”とは言えない。否、存在そのものを批判した時点で、“真実”以外の報道は切り捨てなければならない…という事になる。だが、実際はどうだろう?例えば、通り魔殺人が自分が利用する駅構内で起きて、それを周囲に正確に情報として伝える事は“正しい”と言えるのか?答えは“NO”だ。というのも、戦慄の現場の証拠写真SNSに投稿したとして、それを“真実”として捉えられる人は、逆を言えば“オレオレ詐欺”等に引っ掛かりやすい、情報分析が“単純”な人である。つまり、加工された写真かもしれないのにも係らず、それを疑わずに“信じ込んでる”時点で、情報が錯綜した時にパニックに陥りやすい事を意味している。一番よくわかる実例を挙げるなら、2年前の震災当日、Twitterでのユーザー同士のやり取りがまさにそれで、著名人が単純に世間の“都市伝説”的な情報を鵜呑みにし、拡散しまくった挙げ句、フォローしてるユーザーも“当人が言ってるから…”と信じ込んでしまって、さらにパニった…この事から、本来ならそれが“笑えないジョーク”なのか、それとも“嘘の様な真実”なのかを見抜く目を養わなければ、自分自身も情報で頭の中がメダパニ状態になる事を意味する。
あの当時、オイラは一部のフォロワーに対して、情報を整理し、キチンと自分でまとめられる状態になるまで全ての情報を遮断する事を薦めた。その理由として…
1):膨大な量の情報があったとしても、第一報以外の情報は、過去の“焼き回し”であって、最新とは言い難い。
2):冷静に考えた時に、常識から逸脱した情報を流すのは、何らかの意図がある可能性がある。
3):本当に重大な有事が発生した時、その“現場”は正確な情報を言いたくても“言えない”状況である。
という3点を挙げておく。このうち、1と3については、阪神・淡路大震災の経験からして、最前線の現場というのは、速報を出すにしても、正確な情報を把握するにも、またまとめるにもその“余裕”がない状況である。そう、瓦礫撤去や物資輸送経路の確保等をやろうと思っても、現場にある得物が瓦礫に埋もれてたり、建物の倒壊によって下敷きになっている様では使えないし、無事であったとしても、技術者が…とかになれば、当然、現場にいる人間“だけ”で何とかしなくてはいけない。そういう状況で第三者が”情報プリーズ”なんて言えば、当然現場は激怒します。そう、福島の原発事故も、本社と現場の温度差がそもそも…と言われる様に、被災現場から離れてる人程、正確な情報を求めがちなんです。そして、そういう人に限って情報“だけ”を求め過ぎて、次の行動ができていません。
つまり、第一報があった時点で、考えられ得る様々な状況を想定し、準備する事と、現場から情報が挙がってこないのであれば、自分の方から動く事が、情報収集の“第一歩”なのです。これもある意味、経験から来る事なのだが、現場に入っても“足手まとい”になると思われても、情報が錯綜してどうしていいのかわからないのであれば、目の前の“出来事”から片付けた方が、手っ取り早く情報を入手しやすくなります。また、軍事訓練や宗教上の団体行動は、普段は胡散臭いモノなんだが、緊急時には、この経験がモノをいう訳であって、どんなに“嫌われ者”であっても、そういう場面での行動の早さ、対応能力は、有事の時に如何にして“生き残るか”という土壇場において、他者との差が出てくる訳です。
休話閑題、つまり、どんな情報も玉石混在な訳であり、それを“真実”として捉えるか“虚構”として笑うかは、自分次第であり、その為の経験や社会との接点を持つ事が重要になってくる訳です。ぶっちゃけ、コミュニケーション障害の殆どが、幼少期から抱えてる、しょうもない事での“侮蔑”がトラウマになっていて、コレが成長とともに悪化していく様な社会になってる事が一番大きい訳で、また、窃盗犯等の再犯率が多いのも、出所後の社会での関わり合いを、刑務所内で習う事がないから…と言っていいと思う。つまり、一度でも犯罪に手を染めた物に対して、殆どの人らが関わりを持ちたくないが故に、同じ過ちを繰り返し“居心地のいい場所”へ帰ろうと考える訳です。
だから、他人の言葉を単純に信じられる人に対し、虚偽の報告を挙げて騙したのであれば、真実をキチンと説明すると同時に、謝罪をしなければならないし、最初から疑いの目で他者の情報を見聞できる人ならば、まず何をもって“真実”とするかをきちっと弁える必要がある。それこそ“時に適う”という“御金言”の通りである。だからこそ、ブラックユーモアに対して笑えないのであれば、如何なるギャグやパロディ、社会風刺であっても、一切笑うべきではないし、まして他者の失敗談や敗北を笑うのであれば、自分のその“立場”になった時に、笑われる“覚悟”を持つべきである。故に、もう一度お尋ねします…あなたはいつ以来、笑っていませんか?