迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“無報酬”発言が叩かれる背景…

一部の報道で、秋元康の言動に批判が飛び交ってる。ま、そもそも、政府がヲタク文化を“クールジャパン”と銘打って世界に発信しようというプロジェクトを構えたのは良いが、問題なのは著作権等の利権。そこんトコで、若手の漫画家やイラストレーターから憤懣の意見が出てる訳であり、また、秋本氏も政府から多額の報酬を得た上で若手クリエイターを見下してる様な発言をしてる…という風にマスコミが報じてるからおかしくなる。言い分はわからなくないが、問題は、利用者自身の懐次第なのであって、本気で芸術や技能で飯を食うのであれば、スポンサーとなる相手の“言いなり”で仕事する事を選ぶべきであり、また、プロである以上は、利用客のリクエストに応えてナンボである…但し、クリエイターと言えど、自分のやってる事に誇りがあるのであれば、いくらでも仕事は選べるのであって、利用価値のない仕事であるなら、たとえ多額の報酬が見込める様な事業でも断るのがスジであり、逆に収入の安定や今後の活動費を賄う為には、時としてヤクザな仕事を引き受けざる得ないのも現実にはある…という事を自覚すべきであろう。そう、著作権や報酬といった部分に囚われる様なクリエイターは、無名のままで終わっても文句言えないし、また、そういった“技術者”を最初からタダ働きさせようと見下す様な魂胆がある以上は、いくら政府の依頼と言えども断るクリエイターが多いのも当たり前である。ぶっちゃけ、いつから“お客様”…この場合は“第三者”を無視して、話を進めているのであろうか?

正直、商売というモンは“如何にダマすか”が勝負であって、そこは品質や価格の部分で見抜く利用客との駆け引きである。つまり、株式市場や為替取引でも、通販やネットオークションでも、様々なニーズに合わせて商品を取り揃えるだけでは買ってくれないし、また、宣伝を派手にやったとしても、関心がなければ誰も利用しません。当然ですが、それ故の“ハッタリ”は必要なのであり、そこを見破ると、それ故に大混乱を招きかねない…そういった“ハイリクス・ハイターン”の世界であって、農業でも、作業をサボってもなんとかなる品種の作物ならともかく、基本的に、土作りがエエ加減だと、どんな作付けもパーになりますw(とはいえ、天候とかにも左右されやすいんで、人間の英知と工夫だけではどうする事もできないのが農業なんですが…)
つまり、最近の若年層に多いニート生活の殆どは、学校で教えられた事に関して従順でも、人間としての“駆け引き”を教育現場が極度に嫌ったせいで、自己防衛が過剰な状況になり、持てる才能の為の“犠牲”を払えない人が増えただけに過ぎない…と、オイラは考えるのです。もっと言えば、いじめ問題も、基本的には“劣等感のレッテル貼り”であって、そこを活かすか封印するかは、やられた者の“権利”です。逆を言えば、本当の意味での“情報弱者”とは、自分の世界観に籠りきり、その隙間から入ってくる僅かな情報だけで物事を判断する人であり、そこから偏見や侮蔑が起きるのです。つまり、こないだの新大久保で起きた在日韓国・朝鮮人に対する嫌がらせともいえるデモや、尖閣諸島を巡って暴徒化した中国の学生(と言うより、そういう事にしたかった軍部や警察当局?)も、そして、世界中に挑発し続ける北朝鮮や“日本憎し”で捕鯨を阻害するシーシェパードの様な連中は、日本の若年層ニート同様に“殻に籠ったままで、外に出られなくなったヒヨコ”なんです。言っとくけど、どんな鳥類の雛でも、魚類や昆虫類等の卵生生物は、自らの意志でその殻を破らない限り、生きる権利すら得られないのだよ…
閑話休題、自分自身の穿った見方がドコから来てるのかを知った時、初めて自分自身の知性のなさと知識の狭さ、そして情報処理の不備を嘆く事になる。ぶっちゃけ話、目の前の友人がどんな組織に属し、そして、どんな思想の持ち主で、どういう教育を受けたかを知らずに侮蔑するのは簡単だが、それを寛容できるかどうかは相手次第である。そこを失念してる様では、どんな言葉も“侮蔑”になるし、ヘイト(差別)行為になる。そして、そこを是正しようと思う時、自分自身がこういった他人の“ウエメセ”に対して一喜一憂してる様では、己の信念が歪むだけである。明石家さんまが多くの芸人から慕われたのは、落語家としての下積み時代に、師匠から礼儀作法を徹底して教え込まれたからであり、ビートたけしも、浅草の芸人としての心構えを先輩芸人から厳しく指導された事にある。だからこそ、どんな相手に対しても、テレビや舞台上では面白おかしくイジっても、その裏では、自らが平身低頭しているのである。だからこそ、仕事上で出会った、自分の専門分野からはみ出た部分の人脈を作り上げる事もできるし、それ故に相手に恥を掻かせて笑いを取る事もできる訳である。同じ様に、ジャンルの違う者同士がコラボする為には、そのきっかけが必要であり、そして、相違点を認めあう度量が試される訳である。反原発を掲げる人でも、それ故に原子力関連の研究をやる者がいて当然であり、また、推進派でも、社会の矛盾を感じてそれ故の説明に苦労する人もいて当然である。何度も言うが、TPP問題だってそうで、日本の農家はアメリカの自動車業界と一緒になって反対する方が、賛成派であるアメリカの大規模農家を追い込められるし、逆に日本の家電メーカーは、分野が違っても利害が一致してたら手を組む事で利を得る事もできる。そこんトコの駆け引きをわかった上で、そしてどちらにしても“相手あってこそ”という概念を持つ事が重要なのであって、自分自身の勝手論を展開してるだけじゃ、真っ先に自分が消される事になる。ま、こういう議論は、ある意味“バタフライエフェクト”と一緒で、本人にとって些細な事でも、世界からすれば大事になる…って事なんだが。