迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

ヘイト(差別)の先にあるモノ…

日本における“反中・嫌韓”のデモ…特に、ヘイトスピーチ(差別発言)が絡む問題は、ここんトコ、ネットを中心に目立つ様になって来ている。もちろん、デモといった目に見える活動の殆どが都心部での話であり、また、やってる連中の殆どが、真の意味での道徳理念が欠如している。どっかの政党と一緒ですなぁ…w つまり、民族差別をもって、自分達の不平不満の“捌け口”にしてるのは、反日教育を推し薦めた中国や韓国と一緒であって、それでは、同じ過ちを繰り返す事になる。肝心なのは、その行動が、本当にデモクラシー(抗議活動)として“正しい”モノなのか、自分自身で検証する必要がある。その為にも、様々な情報と、歴史観…特に対諸外国交流にまつわる部分の検証を、やらなければならない。特に、在日外国人関連に関しては、主観論…つまり、自分の感覚のみで語ると、必ず歪みが出てくる。

オイラは、前の仕事場で在日外国人(韓国・朝鮮人)と一緒に仕事する機会もあったし、実家の近所には、在日外国人が経営する飲食店が数軒あった。彼等に対して、オイラは正直“本国に帰れ”なんて、とてもじゃないが、言える立場じゃない…否、言ってはいけない事を知っている。なぜなら、彼等には本当の“祖国”が存在しない…そう、法律上では“外国人”でも、実際問題、戸籍上の“本国”に帰ると、習慣の違い等から批判され、酷い場合は“帰れ”と言われる始末である。そう、戸籍上はその国であっても、異国の地で生まれ育った者にとって、そこが“祖国”という訳ではない。悪い言い方をすれば、戸籍上の“祖国”の政府や企業にとって“都合のいい捨て駒”扱いされるのが在外邦人…特に中国や韓国・北朝鮮にしてみれば、日本にいる連中は、戸籍こそ法律で認めても、受け入れ難い“余所者”扱いになる宿命である。まして、本国以外で生まれた者まで“面倒なんぞみれるかw”ってのが本音であり、アメリカや中東の一部の国みたいに、二重国籍、あるいは子供が成人となった時に国籍を選択できるような国であれば、現地の国籍を得た上で、本国に来るときは“外国人”としときたい訳である。そのクセして、外国籍を取得している同胞が活躍すれば、自分達はまったく関係ないのに、その手柄をいかにも“祖国の誇り”と言ってバカ騒ぎをする…どっかに似てません?こういう“お気楽主義”な発想w それ故に、実は世界中から笑われてるのに、その事を指摘すればすぐに“他人のせい”にしてること自体、諸外国で“ヘイトスピーチ”を、一番関係ない人が被害に遭う訳です。
どんな組織でもそうですが、役割や肩書き、そして、学歴や職種なんてのは、あくまで個人レベルのタグであって、お互いの存在価値を認め合い、対等に接する事ができる組織は、規模の大小に係らず、有事の結束は強く、また、仲間意識が高いからこそ、その個々の振る舞いも、非常にきめ細やかな部分までも手を抜きません。故に、多くの人から支持され、また、その信頼の厚さがモノをいいます。しかし、浅はかな人達は、主体的な目標を纏める事に終始し、他者との違いを嫌っていく様になります。つまり、共産主義の“限界”は、この部分への執着であり、価値観共有の理念を履違えるから、ある指導者は著名な文化人や学者を次々と殺し、またある政権は対峙する諸外国に牙を向け、更にある国では教育現場で子供達にスキル別のカーストを強いるのです。これでは、本当の意味での“国民”は育ちません。あえて言いますが、かつての共産主義国家が次々と崩壊したのは、そういう事に対して、国民感情が外ではなく、内側に向いたからです。また、肩書きや見映えにこだわる人程、その近視眼的感覚で他者に迷惑を掛けている事に気付かないのです。
だから、本当にヘイトスピーチをやっている人達の“正体”を明かすとすれば、それは、そういう“弱者”を叩く事でしか自分の憤懣を解消する事ができないと思い込んでいる“同じ穴の狢”なのです。これは、いじめられっ子としての感覚ですが、いじめをする人の殆どは、自分の快楽をもっと増やす為にやってるだけであり、本当に求めているのは、自分の行いに対し、対等、且つ、的確な方法での指摘なのです。維新の会の石原代表が“改憲公明党が邪魔だ”という旨の発言をやった様ですが、ひっくり返せば、自分自身の行き過ぎた言動を指摘し、的確に“叱ってくれる”存在として認めているからこその発言であり、本気で邪魔だと思えば、当然、支持母体である創価学会宗教法人としての認可を消す様に、猪瀬東京都知事に指示を出すでしょう。しかし、それをすればまさに、憲法が規定する“信仰の自由”と“結社の自由”そして“政教分離”に、自らが反する事になります。(特に“政教分離”とは、政府機構が特定の宗教に対し贔屓したり、権限を利用して弾圧をする事を禁じてるのであって、宗教団体が政党を作ったり、国民として意見を纏めた陳情を提出する事に関しての規制ではない。)当然、共産党以外のどこの政党でも、支持母体の中には宗教団体・法人が関与してますし、その意見が政策に反映される事はしばしばある訳です。(まして、宗教の本分は、“寄るモノ拒まず、去る者追わず”が大鉄則ですから、それが守れていないトコはともかく、普通に地域住民との交流をやってるトコが批判されること自体、既に異常な訳であるw)
結局、こういった差別発言…否、他者を排斥する言動や行動が発する要因は、自分と他人の関わり合いを知る機会が減った事と、そういった“共助”という概念を他人に押し付けた挙げ句、自分自身の責任を放棄した事による“甘え”である。つまり、法律で保護されている本当の意味と、それによる規制を地域で、あるいは家庭で子供に教えていない事にすべてがある。もっと言えば、教育現場に於いてカウンセラーを置く事はともかく、それで学童・生徒が気軽に相談できるかと言えば、そうではない。本来、その役割は地域のPTAの“仕事”であって、子供会の実行役である地域の大人達の役目である。それを、自分の都合のみで仕事・役割を放棄してるモンだから、子供達の陰湿な行動を把握する事ができないのである。もっと言えば、高齢者介護にしても、地域防犯しても、それらは地域住民がそれぞれに役割を担っていれば解決する事であって、物騒な世の中にしてしまったのは、自分自身だという自覚がない以上、防犯カメラや街灯が増えたとしても、犯罪そのものは減りません。まして、その地域に住む外国人を奇異の目で見ている以上、そういった“ヘイトクライム(差別概念)”は増える一方です。どんな事情があったとしても、相手がこちらをバカにしてもいいのです。それは廻りまわって、自分自身を傷付ける行為だと気付くまでは…

教訓:諸外国からの内部干渉を嫌うなら、自分自身の襟を正せ。自ら発した他者への侮蔑は、必ず自身の命に返る…姿カタチを変えて。