迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

“橋下発言”が意味するモノとは…

また、維新の会がいらん事をやった様でw しかし、ちょっと冷静に考えればわかるんだが、従軍慰安婦問題の根幹は、女性軽視という人権侵害ではない。むしろ“職業選択の自由”という概念で考えた場合、男性の風俗関係者は、女性と違って性行為を“施す側”の人は稀な方で、その殆どは“客として”もてなされる側だという事…つまり、サービス業としての概念上、娼婦や舞子は女性以外、就く事ができない業種だったとすれば、それに手を出す男性の方が、破廉恥極まりなかった事になるし、男性の性的欲求を敢えて受けて来た女性を、他の女性が見下してる時点で、この話は拗れて当然といえる訳である。では、なんでこうも“性関連の問題”はタブー視されるのか?

その根元は、実は宗教が関係する訳である。特にキリスト教ユダヤ教に限定すれば、聖書の中で聖母マリアに関する記述の“矛盾”を指摘すれば、熱心な信徒は激怒する話であり、その神秘性すらチープな“性暴行”の話になる。ぶっちゃけ、何でマリアは馬小屋で、しかも処女なのに“息子”を生んだのかを考えれば、そもそも処女だったとは言い難くなるし、恐らく、今どきの中高生で、避妊せずに性行為して妊娠した事が両親にバレるのを嫌って…ってのと同じだったのではと推測できる訳である。(キリスト教、およびユダヤ教関係者には、多大なご迷惑おかけします。あくまで、オイラの個人的推論です…)逆転の発想で言えば、正しく夫婦の契りを結んだ者同士が、生物の繁殖定義に則って交尾し、子供を授かったのであれば、誰もイエスの“神秘性”を問う必要性もなければ、そもそもキリスト教自身も宗教として登場する事もなかったと考えれば、マリアに関する“黒歴史”を神格化する事で誤摩化す事は、ある意味必然的な話と言える訳である。
性に関しての宗教倫理とは、要するに“性行為は不浄なるモノ”という定義にするかどうかであって、その線引きが曖昧過ぎるから、多くの信徒が迷う訳である。そして、その理性が一度崩れると、もはや不可逆な状況になり、人間としての体裁を破る様になる…つまり、男性は、生物学上のオスとしての本能で、女性を“人間”として識別せずに交尾を求める訳である。そこには、女性に対する尊厳等、一切存在しない。また、性行為で恐怖心が吹っ飛んだ女性も、そういう体裁を気にしなくなり、ただ快楽を求めて交尾を欲する様になる訳である。そうなると、生物学上の交尾ではなく、単なる快楽を共有する為だけの“デバイス”としてしか、性行為をする事ができなくなる訳であり、それが因で妊娠した場合、女性は、腹に身ごもった子供すら“邪魔者”として認識する様になる…昨今の児童虐待は、ここに起因するモノと認識すれば、如何に世間が性に対して疎かな考えをしてるかがわかると思う。
つまり、性行為が単なる余興的な扱いになってきてる現在の方が、本当は“異常”なのであって、歴史上…というよりも平和であるが故に繁殖行為が衰退して、人口が適正に減るのが、生物学上においての宿命であるにも拘らず、そこんトコをイマイチ理解できていない人達が、呑気な事を言ってる…としか、オイラには聞こえない。いわゆる団塊世代が人口の多くを占める様になったのは、戦時下において子孫を残そうとする生物上の危機感故の話であると考えれば、今の少子化は、それだけ日本が平和だったという証拠であり、国際的に見て、戦争放棄による“鎖国”状態だったからこそ、こういう問題を深く考えなかったトコがある。つまり、紛争地域で子だくさんなのは、それだけ“種を残す”可能性を広げる為の事であり、逆に、紛争等がない世界では、そういう“種の滅亡”という危機感が薄らいでいるがために、晩婚化が進み、本当に子供が欲しい夫婦に子供ができないというジレンマが起きる。これは、歴史認識ではなく、生物学上の話。そしてそこに歴史を重ねると、必然的に、何故従軍慰安婦という“職業”が存在してたかが、ちょっとでも理解できよう。
もっと言えば、今回の破廉恥発言はむしろ、女性の地位を向上させる為の議論を提供したまでの話。まして、戦国時代や開拓期のアメリカなんかは、いわゆる“ホモ乱舞”な時代である。(要するに、腐女子好みの薄い本以上の乱痴気は、日常茶飯事だったw)そこに女性がいるという事は、そういった世話の役目があり、且つ、重要な戦闘要員でもあったのは、平家物語等の古典戦記にも記載がある程。(巴御前は一説によると、怪力女であると同時に“床上手”だったとも。)もっとも、かつての戦争は、その殆どが“女性の取り合い”である。故に、戦地で兵士が現地の女性を集団でレイプする事を防ぐ為にも、そういった処理を事前に行ってくれる女性…つまり、慰安婦を雇う事は、軍事的な戦略上、不可欠だった…そう言いたかっただけである。だから、終戦後に本来なら、国家予算として彼女らの生活費を計上するつもりでいたのに、それらを闇に葬った事こそ、日本の政府が抱える“負の遺産”であり、そこを“レイプ魔だ”と糾弾して賠償金を得ようとする韓国・北朝鮮の政府もまた、先の合意…第二次世界大戦中の国家賠償は行わないという取り決めを国民に告げず、政府として無視し続けてきたから、本音が言えなくなってる訳である。つまり、歴史認識を正すという事は、そう言った“黒歴史”に目を瞑るのではなく、直視した上で対等に話し合う事がスジであって、そこを無視したままでは、話が平行線を辿るだけで、なんの問題解決にもならない。何度も言うが、過去に囚われている事こそ、話をややこしくする原因であり、そこんトコをキチンと後世に話していく事こそ、歴史認識を正す近道である。故に、日本ばかりを責める中国や韓国政府の態度は、国民の歴史認識を狂わす元凶であり、自分達もまた、それに似合うだけの保障を、従軍慰安婦だった者達に支払う義務がある事を認めなければならない。それができない以上、この“橋下・石原発言”は、取消されずに“既成事実”として残る事になる。