迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

愚弄する前に考えるべき事…海難事故と救助の話。

以前の話で、捕鯨を愚弄するのは良くない事だと話した訳だが、捕鯨を愚弄し、阻害した結果、日本近海でクジラが原因と思われる事故が発生した…ま、報道されている話故に、具体的な事は、ここでは言わんが、ヨットや帆船で冒険をする、あるいは国際レースを行う限り、クジラやイルカが“進路妨害”するのは必然的であり、しかも、エンジンで航行しない以上、興味津々で近付いてくる鯨類を避ける事は、魚群探知機を付けた漁船でもない限り、不可能に近い。何が言いたいかって?つまり、乱獲・密猟はともかく、捕鯨海獣の狩猟そのものをやめるという事は、航海上の安全を保持できない事を意味する訳であり、海上輸送をやる以上、鯨類を含めた海獣の衝突による事故は、その頻度が増える事も意味する。つまり、これも一種の“自然破壊”だって事だ。

海洋民族は、往々にして、鯨類を含めた海獣に悩まされる。当然だが、港湾内に海獣が留まると、漁業や海運業の妨げになる訳で、やむを得ず駆除をしなくてはならなかった訳であり、その残骸を無駄なく処理する為に、肉は食糧に、皮は衣料に、骨格は建材や釣具等に加工され、ほぼ全て再利用が行われてきた訳である。故に、べっ甲細工やからくり人形の部材といった細工物が、日本の伝統文化にあり、それを輸出して外貨を稼いできた…これが明治、大正ぐらいまでは“当たり前”な話であって、特にクジラに関しては、西洋的な捕鯨方法が用いられるまで、それこそ手漕ぎ舟で沖合まで行き、海岸に近付くクジラを迎え撃つ方法でしか、クジラを獲る事はできなかった訳である。土佐(高知)の伝統的な捕鯨方法は、それこそ命懸けである…そう、クジラが死ぬ前に、多くの漁民が命を落としたのだ。
だけど、そうしないと、鰹や鰯、その他の魚介類が、全部クジラに喰われてしまう事を意味していて、それ故に必死だったのだ。まして、浜に打ち上げられた時点で、重機のない時代である…簡単に海へリリースできる訳がないし、陸に揚がった時点で、鯨類は死ぬ。そして、その腐敗した肉や油脂は、結果的に浜辺を汚す。そうなると、海藻や貝類が育たなくなる…その漁獲高が減る事は、磯や砂浜で狩猟する漁師に獲って死活問題に発展する話だ。だからこそ、沿岸での捕鯨は、日本に限らず、漁業関係者共通の最重要課題といえる部分。しかし…いわゆる環境保護団体を名乗る連中は、そういう部分を、一切学んでいない。彼等にとって、害獣駆除の肝要は、人間側の勝手であり、そういう行為はすべて“野蛮”だというらしい。実にバカげた話だ。
話が逸れるが、農業でも同じで、鳥獣保護区以外の地域に出没する野生動物…特に猪や鹿、猿は、農作物を食い荒らす“害獣”でしかない。もちろん、モグラやネズミ、カラスも鬱陶しいが、コレに限っては、誰でもわかる範囲。でも…奈良県民ならよくわかる話だが、奈良市近隣では、奈良公園の鹿が、家庭菜園をやっている庭先や農地に時々迷い込んで、しかも農作物を食い荒らすのである。奈良公園の鹿は、国指定の天然記念物にして、しかも害獣としての駆除も法律で禁止されている…言い方変えると、奈良市内…特に奈良公園近隣の住宅地では、迂闊に草花を植えられない(=鹿が食い荒らす)という状況なのだ。(幸い、オイラんトコは奈良市から遠いから、鹿が迷い込むという事は、滅多にないがw)最近では、ペットとして飼われていたアライグマやハクビシン等の外来系動物の野良化による被害もあるし、限界集落付近では、山林の手入れができていない事もあって、エサを求めたツキノワグマ里山を下りて、市街地をうろつくなんて事も発生してる。これも、駆除してはいけないのか?これと同じ事が、イヌイットのアザラシ狩りの意味であり、日本の捕鯨の理由でもある。ここまで事情や理屈を述べても、環境保護団体はこれらの行為を“野蛮”と罵る。ここまでくると、もはや実害が出るまで放っておくしかない。
敢えて言っておくが、太平洋上の公海において、鯨類に襲われるという事は、なにも童話の話ではなく、現実上の話であり、件のブラインドセーリングで太平洋横断中に、乗っていたヨットが沈没したのは、現場水域で泳いでいたマッコウクジラの悪戯である。つまり、ヨットを“仲間”だと思ってちょっかい掛けたら、船体が割れた…という具合である。大型輸送船や潜水艦ならともかく、小型船舶で回遊するクジラが勢いよく突っ込めば、船が沈むのは当然の話。そして、現場水域を航行してた船舶や、海上自衛隊が救助に向かったのは、公海上ではどんな国際法よりも、人命救助が最優先とされる為である。そこんトコを無視して叩くのであれば、自分が海難事故に遭っても、救助を求めるべきではない…まして、領海内での事故は、領海を主張する国の機関が救援に当たるのがスジであり、万が一、竹島尖閣諸島近海で海難事故が起きた時、どこが救出に行くのか?そこんトコを踏まえて論じれば、自ずと“その意味”を知る事になる。それこそ、救助に際して性別や宗教、民族による差別を行う事は、自分が遭難した際にも同じ様な目に遭う事を意味する。同じ事は、山岳地での活動でもいえる事であり、まして登山家である以上は、万全な準備もさることながら、危険だと感じた時点で登頂を断念し、引き返す事も、再度挑戦する為に必要なスキルである。そこんトコを踏まえた上で愚弄する分にはともかく、そういう経験や知識を有していない者が、結果論だけで罵る事は、本人を侮辱するだけでなく、同じ冒険家や関係者をバカにしてる行為である。失敗を批判するにも、それ相応の事情や経緯を知った上でやる分には、次の挑戦に活かせるが、単にバカにする行為は、後々同じ過ちを、しかも言った本人自身が経験する事になる。