迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

日韓関係が拗れる背景…

東京五輪の開催が決定した途端に、日韓のごく一部のヘイトスピーチを、さも“国民感情”と言わんばかりにネット上で繰り広げられているが、ちょっと待て…韓国の“反日感情”は、日本を憧れるが故の感情であり、もっと言えば本当に“日本の一部”になりたかったからこその僻みである。言い方を変えれば、ハングルを用いるのも、漢字を否定するのも、そして日本の文化だけでなく世界中の文化を“ウリジナル”の名の下にコピーするのも、全て、日本が“羨ましい”からこそであり、そして、元々勤勉だった韓国人が、利己的な成果主義に陥ったのも、結局は日本と、そして中国の存在に埋没したくないからこその“強がり”である。もっと言えば、ネット上の虚構に振り回されている事こそ滑稽な話であり、情報社会といえど、冷静な判断を行う為には、情報そのものを疑ってみる事が重要であり、また、その“裏”がキチンと取れていない事を、さも“事実”とする様装う事が、却って未来を暗くする事になりかねない事を、あまりにも理解できていないようである。

嘘を付き続ければ、それ故に後々苦しくなる…が、時にはそれでも付かなければならない“嘘”もある。例えば、末期癌患者が健常者に対して笑みを浮かべ、望み薄な治療を受け続ける事も、本人と、そして関係者自身の精神を傷付けない為の処方箋であり、それが功を奏して寛解する事だってある。(もちろん、それに似合うだけの精神の強さが必要だが…)子供の前で、できない約束をやっておいて裏切ったとしても、それに似合うだけの別の答えを用意できるのであれば、親としての責任を果たせた事になる。しかし、それをも“否定”して全て“真実”のみで語るべきだとするのであれば、どれだけ自身の、そして相手の精神を深く傷付けるか…それが想像できる人であれば、はっきりと言い切れる事がある。それは、何をもって“真実”とするかは、自分自身の覚悟次第だという事。言い方を変えれば、正直者はバカを見る…だけど、信じる者は救われる…という事だ。
悲観的な考え事は、裏を返せば慎重論を展開してる事を意味し、逆に、楽観的な考え事は、その“後始末”を考えていない事を意味する。もっと言えば、未来を悲観的に見てるから前へ進めないのであれば、無鉄砲な考えに乗る事も時には必要であり、直感で様々な事を決めてきて、思い通りになっているならば、少し振り返って、自分の為に犠牲になった多くの事柄を覚えておく事で、自分自身を見つめ直す事ができる。つまり、我侭に付合ってくれる者達は、それ故の犠牲を払っているからこその見返りを求めるが、そこんトコがわかっていない者にとって、それを“理不尽”だと言ってしまう訳である。どんなに学業での成績が優秀でも、それをひとつも褒めない親ならば、学校での勉強なんてする必要はない…逆に、どんなにバカでも、好きな事をやって、それに似合うだけの結果を残せるのであれば、実の親でなくても賞賛する人がいる限り、必ずそれは様々な事で役に立つ。そのプロセスをキチンと見て、評価してる者の言葉は、どんな褒め言葉よりも励みになる。そして同じ様に、批判であっても、事情を知らない者の悪口雑言よりも、自分を信じてくれている人が言う指摘程、胸に刺さるモノはない。
もっと言えば、他人を批判する人にとって、何を信じているか…安倍内閣を批判してる人に聞きたいが、先の民主党政権だったら信じられるとでも言えるのか?彼等ですら、真実を揉み消し、それに似合うだけの代案すら提示せず、ただ単純に、過去の政策を批判しただけである。もっと言えば、どれだけ国民を騙し、国益を損なったか…自分達の一言によって、実は若者達の未来を奪った…その罪を、自らが背負わなければならないのに、誰一人としてそれを嫌がっている事こそ滑稽である。少子高齢化とは、要するに、そういう事なのだ。
話が遠回りしたが、要するに、韓国人のネチズンからすれば、日本は韓国の一部であり、それ故に自分達と同じでなければならない…という近視眼に囚われている事が、全てを拗らせる要因であり、同じ事は、日本人でも言える訳である。つまり、日韓併合の弊害を知っていた明治政府の要人達は、これを一番恐れていた訳であり、そうならない為に、一定の距離を置くべきだとした訳である。それがどこをどう間違えれば、ここまでの排斥を求める様になるのか?結局それは、裏側を知る者が、あまりにも残酷な“真実”を晒し過ぎた事と、同時に、それを“虚偽”だと嘘ついて切り捨てる度胸がなかった事が、この悲劇を招いている…真実を知る者は、故に下手でも嘘を付き続けなければならない事と引き換えに、真の意味でのグローバル化を図る上での指針と、それに繋がる選択肢を提示しなくてはならない。まして、その“嘘”がバレた時に、どう責任を払うのか…その為の犠牲を自らが引き受けない限り、長年掛かって築き上げた信頼関係を、一瞬にして潰す事になる。だから、韓国政府は国民に“真実”を打ち明けられずにいる訳であり、国民自身も、それに甘んじてきたからこそ、日本人を見下してる訳である。真の意味で“対等なる関係”を築き上げるには、時として、自らのプライドを抛ってまで、奴隷になる覚悟を決める事であり、奴隷を受け入れた者は、相手に対して、それ故の施しを行わなければならない。主従関係とは、本来はそういう事である。だから、相手の生存権をも奪う権利も、財産を没収する権利も、そこには存在しない…それを行った時点で、それは相手に対する背任行為であり、それ故の災難に遭ったとしても、文句を言う筋合いはない…何度も言うが、三災七難の理は、自らの行いによって招かれた厄災であり、そしてそれは“自らが望んだ結果”だからこそ、甘んじて受け入れなければならない“法則”なのである。ヘイトスピーチの“裏側”にあるモノは、子供の喧嘩と一緒…理屈や理由なんてどうでもいい、とにかく“気に喰わないから”という事で、相手を傷付けているだけの話だ。それが後々、自分自身に、そして自分に関わる全ての者に厄災として振り掛かる事だと認識できるまで、何度も繰り返される事である。戦争でも、それは同じ…相手がどうのこうのではない、自分自身がどうするかで、その後の結果が変わる。終止符を打つのは自分自身だと胆に銘ぜば、それ故の行動ができる…けじめが付けられないのは、その責任を取りたくないと逃げるからだ。逃げる以上は、誰も重要な役割を任せる事はできない。それを立候補してやる以上は、自らが犠牲にならなければならない…あなたは、その重責に耐えられますか?