迷馬の隠れ家 はてな本館

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国民の教養は、歴史教育が全て…

トルコでの日本人学生殺傷事件において、カッパドギア近隣の住民が、遺族に対して哀悼の意と、被害者に対して謝罪を示しているのは、トルコの教育現場では、明治時代の海難事故…トルコ海軍のエルトゥールル号熊野灘で遭難し、多数の死傷者を出した時、沿岸にいた日本人漁師が懸命な救助を行った事を、現在でも教えているからである。かつて、イラン・イラク戦争が激化して、逃げ遅れた日本人を救助する為に、トルコ空軍がイラクへ救助に入ったのも、この事が一因となっている。(文字を読む動画だが、参考まで…)
日本とトルコ

翻って、韓国や中国における、反日・抗日活動は、完全に間違ってるとしか言い様がない…が、これもまた、この国だからこその話であり、そうでなければ、自尊心を守れなかった事が全てだといっていい。そう、“建国”は浅くても、そこへ連なる“歴史”が古いあまりに、歪んだプライドが国民の心情を支配してしまった事を意味する和池で、そこんトコは、実はアメリカやロシアもほぼ同じである。故に、アメリカの国民感情には“親日”と“反日”が混在し、それが時として仇となる訳であり、ロシアの場合は北方領土を返還しない最大の理由が、海軍力の維持というよりも、日露戦争での“恨み”が全てと言っていいだろう。
つまり、反日感情を持ってる者にとって、日本が自分達の意のままに“暴走”する事を期待して、ネガティブキャンペーンを繰り広げ、時に日本のマスメディアやネットを利用して、風説の流布をやる訳である。言い方を変えれば、何も知らずにネットの動画サイト等にある“海外からの反応”というタグの情報を見ると、ついつい信じ込んでしまってヘイトスピーチに走る…という“マッチポンプ”が発生する訳であり、もっと言えば、そういった情報ばかり集めるあまり、真実が埋もれてしまってる事に気付かなくなる訳である。逆に、親日派と称する人達は、日本人のそういった単純な感情論を見抜いた上で、上手に付合う方法を見出そうとやる訳で、その一環として、“自分”と“日本”の関係性を、双方の歴史から学ぶ訳である。つまり、トルコの教育現場では、日本と仲良くする事に対するメリットとデメリットを、歴史を通じて学ぶ訳であり、故に、東京五輪開催が決定した時でも、イスタンブールに招致できなかった悔しさよりも、素直に“同朋”として祝う事もできた訳である。
もっと言えば、イスラム圏の国々では、実は親日派の方が多数派であり、反日派になってるトコは、その“理由”が“アメリカの狗”だからという、単純明快な答えである。というのも、アラブ諸国での武器・砲塔には、殆どの場合“Made in Japan”と勝手に刻印してるモノが多い…その理由が、欧米諸国…というよりも、キリスト教徒やユダヤが多い国々と、少ない戦力で対等に戦った国だからという意識があり、それ故の“おまじない”なのである。つまり、トルコはもちろんだが、イスラム圏の人々にとっても、日本は“奇蹟の国”であり、憧れでもある訳である。だから、日本人が欧米とアラブ諸国の間に入る事で、様々なトラブルを回避できたトコがあり、また、日本程、宗教に関して案外ルーズであるからこそ、信頼を勝ち得たトコがある訳である。
しかし、それ故に面白くなくて、イラつくのが中国であり、そして朝鮮半島である。特に韓国は、事ある毎に日本を敵視し、アメリカですら匙を投げる程である。昨日も書いたが、北朝鮮の場合は、皇族に対する憧れがあり、それを真似る為の口実として共産主義国家になったと言って過言ではない…それが余計に韓国をイラ付かせる訳であり、中国もそこんトコが共通認識として存在してる訳である。だから中韓の外相が日本を散々非難し、それを国民に示してるから、感情的に“反日正義”が成り立っているといっていいだろう。でも…正直なトコをいえば、国民の殆どが日本に対して敵対する事が良い事ではない事をわかっていても、それをやめられないのは、その“閉鎖的感情”故の話である。そう…学校のいじめ問題の根幹とまったく一緒で、自分が“被害者”にならない様にする為に、ちょっとでも自分達とは異質な存在を標的にして、直接的に手を出さない代わりに、被害者を見下す訳である。この閉鎖空間での集団心理は恐ろしいモノで、これに耐えられない人は、故に自殺するのである。誰にも打ち明けられない、自分の“本心”に素直になれず、抱え込んだままで立ち向かわずに逃げた結果だ。そしてそれは、そのまま戦時下の日本と同じ状況だという事に、誰一人気付いていない…気付いても、それを口にした途端に“国家反逆罪”として裁かれる訳だから、必然的に、しかも強制的に反日感情を植え付けられてしまう訳であり、同じ理屈は、日本での在日韓国・朝鮮人に対する排斥運動をやってる連中にもいえる訳である。
ま、そういう事をやってる連中は、必ず“同じ過ち”を繰り返す…それが、歴史をキチンと精査できてる人と、そうじゃない人との差となる訳で、あさま山荘事件でも、オウム事件でも、掲げた理想に盲目的になり過ぎて、反対意見を排除した結果、自らが過去の失敗を踏襲してる訳である。だから、差別をやり続ける以上は、必ずそれ故の厄災を被る事は“等価交換の理”である以上、逃れる事はできない。それを理不尽だと思うのであれば、今一度、自分が学んできた事を振り返ってみるべきだ。その為の歴史学であり、そこから未来を見据える指針が見えてくる。“正しい歴史認識”と言うのであれば、現在進行形の排斥運動が、過去にもあった事を認識すべきだろうし、それ故に自分自身も、その“黒歴史”を踏襲しない様に、襟を正すべきであろう。