迷馬の隠れ家 はてな本館

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真の“正義”とは何か?

いよいよ、任用試験もあるという事なんで、そこんトコの話題もやっていかないと…と思いながら、ブロマガや他の用事をやってるモンだから、なかなかこっちでの更新が遅れがちですw(と言いながら、今週は薫兄関連で、ボルテージが上がり過ぎてひっちゃかめっちゃかなんだが…)で、任用試験にも出てくる日顕宗批判の問題をやる前に、少し考え方をリセットする為に、本当の意味で“正義”を掲げる事の本意について、深く考えていこうかと思う。

“正義”という概念は、何をもってそう言うのかは、その立場や理念、志が万人に理解可能かどうかに掛かっている。もっと言い換えれば、自分にとって、都合が良い事を“正義”とすれば、その反対側は“悪”という概念になる…が、正直な話、それは自分の“我侭”に対しての概念でしかなく、それを押し通せば、どんなに立派な理論や行動計画であっても、誰一人として支持されないという、とても理不尽な事になる。逆に、その先に待っている“最悪の事態”を無視してでも、“今すぐ”叶えたい事案があると、それの為だけに邁進して満足する事も、それはそれ故の“正義”となる。つまり、他人に恨まれようとも、妬まれようとも、自分自身の幸福を実現させるのであれば、その為の行為は、全て“正義”の名の下で行われる…という理論である。
しかし、これが相手の立場になって検証すれば、どういう事を意味するか…わかり易い例でいえば、肉食獣にとって、草食獣はエサでしかない。故に、生きる為には、その命を奪わないといけないから襲うのであって、草食獣にしてみれば、敵である以上、逃げるか返り討ちに遭わせるかしか、撃退法が無い。しかし、草食獣はその繁栄の為には、エサとなる大量の植物が必要であり、コレを食い荒らせば、周辺地域の土地は砂漠化する危険がある。それ故に、天敵となる肉食獣が適度に狩りをして、バランスを保たせる訳だが、その為には手段や年齢なんて関係無い。故に、草食獣の仔が襲われるのも、肉食獣の仔が餓死するのも、自然の法則に基づけば、必然的な事である。これに対して人間が、それぞれの立場と利己の理由で保護や駆逐を行えばどうなるか…自然の理に、本当は“正義”も“邪悪”も存在しないのであれば、そういう理を無視した保護策や駆逐を行っている人間こそ、一番の“邪悪”という事にならないだろうか。
という事は、何をもって“正義”とするかは、まさに自分自身が、その“立場”にならないとわからない事であると同時に、それ故の“大罪”を犯す事を意味する…その理をもって、しかも、それでも幸福でありたいと願うからこそ、独り善がりな正義と悪という概念が生まれる。逆を言えば、自らの存在を“邪悪”として否定し、他者へ道を譲る事が“正義”であるなら、それを他人に説くのではなく、自らが進んで実証を示してこそ、そこから他者が自分を同じ事ができるか否かで判断すべきであろう。故に、自分の幸せを最優先に考える人程、他者を見下すだけでなく、自分以外の存在の排除を考える訳であり、イエスマン以外は追放する考えに固執するが故に、却ってバラバラになるというジレンマに遭う。御書でいうトコの“同体異心”ってヤツで、これではどんなに救済を施そうとしても、自らが定めた規定やルールに反する事を理由に、何もできなくなる。堺市民が拒否した大阪都構想も、実はコレであり、器ばかりが立派でも中身が伴わないからと排除したり、無理矢理合わせようとすれば、それが原因で乱れる…という訳である。
御書にある“異体同心”とは、広義の意味でいえば、真の意味でのグローバリズムのあり方を示している…つまり、違いを認めた上で、それをも内包して纏め上げる考えである。言い方を変えれば、違ってて当然なのだから、それを認めた上で、同じ目標を完遂する考えである。本来の大阪都構想を考えれば、大阪市堺市を取り潰して大阪府の財政を…という発想にならないハズなのに、なんでそうなったかを考えれば、すぐにわかるかと思う。つまり、それぞれの役割分担をフレキシブルにする反面、責任の所在を明確にする事で、統一感を見出す事が重要なのに、いわゆる“見た目”に拘るから、結果として、その志そのものも歪んでくる訳である。つまり、日顕宗…というよりも、日本の宗教概念そのものが、体裁やしきたり、更には“身分”や“概念”に拘り過ぎて、本当の意味での自由と信仰心を踏み潰してるから、学会員は他宗派を批難する訳であって、宗教そのものの存在価値や教義については、意外とユルい。故に、世界宗教を目指す以上は、民族の相違によるしきたりや作法に関しては拘らない反面、御書に書かれたる教義に関して徹底した指導が行われる訳であり、それを逆手に、僧侶の地位を固持しようとして、信徒を見下したのが日顕宗の“教義”なのである。本音を言えば、学会員とて、いつまでもこういう関係を続けるつもりは無いし、それ故に、こういうバカを救ってやりたいからこそ、大喧嘩をする訳です。もちろん、喧嘩する相手は、この世にはいくらでもいますけどねw