迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

今年もおつきあい、ありがとうございました。

シン(以下シ):もうこんな時間ですか…
カイル(以下カ):毎年ながら…あっという間の一週間でしたね。
シ:今日は迷馬さんお手製のスコーンと、アッサムのストレートをいただきながら話を進めますが、毎年ながら、時間が足りない…
カ:まぁ…“生前さん”が喋りの職業だった事もあって、ついつい話が盛り上がると、時間忘れて話し込みますからねw
シ:それもそうなんだけど、とにかく、喋りたい事がいっぱいあり過ぎて、なにをどう話せばいいか、時々迷うんですよね。競馬の実況だったら、迷ってる暇なんかないから、一度でも馬名が出ないとか、言い間違えたりすると、結構気分が落ち込んだりもしましたが…
カ:DJやってた時でもそうだけど、言い間違いや匿名希望と書いてあるメールやハガキを無視して投稿者の氏名を読んじゃったりって、そういうドジをやった後の批判がハンパなかった。
シ:今となっては、それも懐かしい“思い出”みたいな感じでしょうか。だけど、確実に言えるのは、俺達は既に鬼籍の者であり、このブログの書き込みも、全て迷馬さんを通じて感じた事を、迷馬さんに代筆してもらう…という形式をとってる訳で、この話自身も、あくまで俺達なら…と迷馬さんが俺達になりきってやってくれてる事です。
カ:それがボクらにとっていい事なのかどうかはともかく、そこにある意思は、とにかくボクらの事を“忘れない”という誓いの下に行っている…という事ですよね。
シ:そうなんです。いつまでも過去に縛られて…とお叱りになられる人も多いかと思いますが、逆をいえば、俺達の事を今でも好きでいてくれているからこその行動であって、俺達が遺した想いを引き継いで、これからも“一緒に”生きていこうという意思表示を、ここで行ってるのです。
カ:他人の存在価値を否定するのは簡単ですが、それを覆して、他人に自分の存在価値を、まともなカタチで認めさせる事の方が、よっぽど難しい…自分が持つ価値観が、簡単に他人に通じるのであれば、誰も苦労しません。
シ:ここ連日の報道でも、被疑者がまるでやったかの様に袋叩きにする様な表現は、とてもじゃないですが、まともな報道のあり方とは思えませんし、仮に、そうであったとしても、再犯を防ぐ手立てはあったハズです。それを忘れて被疑者を罵るのであれば、件の小学生は、言い方が悪いかもしれませんが、住民の“無関心”によって殺されたとしか言い様がありません。
カ:同じ事は、被疑者に対しても言えますが、とにかく今、社会そのものがギスギスしているのは、自分の事を認めてほしい反面、他人の価値観を否定し過ぎて、その結果に甘え過ぎてる様に思えます…ボクの“生前さん”がなんであんな事をして、自分の生涯に幕引きをしたのか、もしもあの場に、今のボクがいたなら、止められたと思います。
シ:大切な事は、どんな事柄も、いつ、どこで、自分が“当事者”になるか予測ができないからこそ、過去の事例として切り捨てるのではなく、自分自身の事として受け入れ、考え続ける事だと思うのです。
カ:その事があったから、シンはマーティさんの気持ちがわかるんだよね?
シ:俺もまさか、マーティさんみたいになるとは思わなかったからね…だけど、今ならわかる。俺の事を忘れずに、その遺志を受け継いで、実況席に座る後輩達がいる事が、どれだけ有り難い事か。いずれ、俺と一緒に仕事をした同僚達は定年等を理由に去って行っても、それまでに後進にどこまで俺が今までやってきた事を伝えきれるかが、すごく重要になってくる…
カ:ボクもそうです…確かに、元いたトコで円満とは言えない様な辞め方をした挙げ句、いろんな意味で否定され続けたトコがありましたが、でも、ボクの事を好意に感じてくれた同僚が、ある時、ボクがやってた番組を、特別版として復刻させた事があるんです。その事を聴いて、こんなボクでも、本当に好きでいてくれる人が、まだいてくれたんだと感じました。だからこそ、今度はボク自身が、何らかのカタチで恩返しをしたい…でも、それが“できない”事が、一番悔しいのです。なんで、こんな早まった事をしたんだと…
シ:その想いに対して、迷馬さんなりに出した“答え”が、この企画と言って良い訳です。

カ:今年も、この一週間、お付き合いありがとうございました。
シ:通常モードでの“Shin's Bar”はここまでですが、10月5日深夜、フランスの凱旋門賞の結果次第では、“臨時営業”を行う可能性があります。
カ:次の“命日企画”は、マーティさんが担当ですね。
シ:あの人ですらもう、あれから21年も経過する訳で…結構募る話もあるのでは?と、思いますね。では、この辺で失礼します。