迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

深夜食堂“Flat River”2015 五皿目

マーグ(以下グ):毎度のことながら、南岸低気圧ってヤツは、マジで難儀な存在だよなぁ。これから関東甲信越から北側で、相当雪が降るみたいだから、万全の対策だけはやっておけよ。それと、ここんトコ、屋根の除雪作業で死亡する事故が多発してるようだから、無理せずに作業をやれよ。特に高齢者、もうそんなに機敏に動ける歳じゃねぇんだから、近隣の若い連中に頼め。それが無理なら、ボランティアを手配してもらうように、役場に相談しろ。一人で解決できるほど、世の中はそんなに簡単なモノじゃねぇ。
(ガラガラ…)
っと、いらっしゃい。
ギィ(以下ギ):今日もやけに冷えるねぇ。すまんが、ホットウィスキーとベイクドポテト、頼めるか?
グ:ん?珍しい組み合わせで攻めるな。ジャガイモを使った料理なら、ビールの方が合うだろ?
ギ:何言うてるんや。あまりに寒すぎて、ビールを飲む気にもなれん。
グ:あ、なるほど…ちょっと待てよ、簡単な方法で調理すっから。
アッシュ(以下ア):あ、俺は熱燗と肉豆腐で。
グ:お、一番手間のかからない注文だな。それはすぐ用意できるぜ。
ギ:お、今日は竹鶴の12年か。そういや、今、NHKの連ドラが、ニッカウヰスキーの生みの親、竹鶴政孝の話を題材にしたヤツをやってるからか。
グ:ま、それもあるけど、その功績が、やっと世界でも認められてきたからさ、敬意を表して使ったまでさ。
ギ:サントリーのウィスキーの歴史にも深く関わっている反面、その“職人魂”としての経営方針が袂を別つ原因となった…皮肉な話だが、サントリーは企業としては成功し、ニッカはそれゆえにアサヒビールの子会社になってしまった。しかし、本物を追求する姿勢が、海外でも高く評価され、ゆえに日本を代表するウィスキーへと昇華したと言ってええやろうな。
ア:さらに言えば、日本酒も海外がその旨味と、製法技術の高さを評価したことから、日本でも見直されるようになった。皮肉な話だが、どうも日本は海外…特に欧米諸国から評価されないと、自分たちの伝統や文化を認めることができない。
グ:そういう民族性かもな、日本に限らず、アジアの人間は。とかく、自分の評価を過小気味に見て、他人の功績や技能を羨み、そして妬むw で、その対象になりたくない一心で、常に“平均値”の部分を求めようとする。もちろん、それも“幸せ”の一つかもしれないけどよう、なんか違うよな?
ア:個々の才能に対して、勝手に僻んだり、叩いたりする反面、自分のことを高く評価して欲しいと言ってる時点で甘えてるな。優れた才能があると言っても、それが本当に“有能”なのかは、業種や役目が違えば価値や評価基準も違う。そこを理解せずに、さも自分を“完璧なる存在”として崇めてもらおうということ自体、浅はかで幼稚な事だ。自分の事を評価して欲しいと思うならば、その“評価する”人の好みに合わせないと、結局余計な諍いが起きるだけで、誰一人として報われん。
ギ:そやろなぁ…我々ですら、世間から叩かれて、それでも自分の信念に賛同した人を味方に付けながら、自分は生きてきたと思うとったが、今となっては、どこかで“誰か”の好みに合わせた付き合い方をしてたのではと考える事があるな。だか、それを良しとして甘えるか、もっと自分の思い通りにやってみようとするかで、答えは変わってくる。その答えに対し、自分がそれを満額で受け止められる度量があるかどうかやな。
グ:今の若年層は、いわゆる“悟りの世代”なんて言われてるが、それは単に、オレたちの世代が若ぶった上で、しかも未だに“時代の主役”と粋がってるせいだ。オレの“生前さん”世代は、すでに70歳を超えた老人だ。なのに未だに自分自身を“主役”に据えた考えで物事を判断している。そのツケが、じわじわと日本の社会全般を悪化させている…という自覚がない。それゆえに、若い連中…特に20代の学生が、将来に対して失望し、そして立ち向かおうとしないで、安定を求める。だが、オレから言わせれば、それこそ一番の間違いだ。
ギ:お、珍しく激昂してるな。
グ:当たり前だろ?自分自身の“思い描く未来”を勝ち得るには、オレたちみたいな老害を叩き潰すぐらいヤンチャな精神がないと、どっちにしたってしんどいだけだと思うぜ。安寧を求めるのはいいけど、それって“小欲知足”じゃなくって“無欲無知”な発想だ。
ア:その意見、俺も賛成だな。ヤンチャやって、叱られてナンボなのが青春であり、そうやって人との繋がりを学んで、やっと本当の意味での“悟り”って拓ける。もちろん、その“ヤンチャ”の方向性を間違えてはいけないが、単純に誰かに好かれることよりも、世間一般から総スカン喰らっても、自分が掲げる信念に忠実であることの方が、却って多くの人々から、本当の意味で尊敬される存在になれる。尊敬というのは、別にいい意味だけじゃなく悪い意味にも通じてるトコがある。が、歴史上に名を残せた人々とは、全員が“聖人君主”とは限らん。守りの姿勢で欲を捨てても、死なないだけで退屈なだけだと思うよ。時に、自分でも“コレはw”とドン引きする位のヤンチャは、やってみる価値があるってモノだと思うな。
ギ:そうやな…私も、その“生前さん”が相当ヤンチャだった事で、関係各所で多大な迷惑をかけたことがある。そやけど、それを“私らしい”と認めてくれた人達がいて、一緒に仕事をする仲間として集う事ができた。その繋がりから、様々な交流があって、様々な見聞を拓く事もできた。そういう意味では、確かに、マーグやアッシュの言い分は、理に適った話やな。
グ:けど、行き過ぎた“ヤンチャ”は、単なる犯罪だからなぁw
ア:激しく同意w
ギ:それはそうだなw