迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

20年…あの日を境に、日本は没落した。

今日はマーグ達には悪いがお休みにして、20年前の阪神大震災に関する話。

これは、10年前の関西電力のCM。そのさらに10年後…つまり今年のバージョンが、これ…

ちなみに、ようつべの公式チャンネルでは、フルサイズバージョンがあるが、神戸…否、兵庫県南東部の復興を、震災当時に生まれた新成人たちを追いかける格好でCMにしている。これを見るだけでも、一つの答えが見えてくる。そう、あの震災から、本当ならとっくの昔に“明るい未来”を実現してなきゃいけなかったのに、未だに“暗い”のはなぜか?
その答えの一つとして言えるのは、元の生活に戻すことだけを主眼に置いた復興策で、物事を進めたからであり、そこからの発展や未来予想図を、誰一人として描けなかった…それどころか、それを否定したことである。もちろん、当時の状況を踏まえれば、ある意味仕方ない訳だが、若年層、子育て世代を置き去りにして、高齢者、身障者を優先的に仮説や復興住宅への入居を促した結果、肝心の“永続的な繁栄”ができない街になってしまった訳である。当然、職がなければそれを求めて、若年層は神戸を離れる訳であり、高齢者に特化したことによって、子育て世代が“住めない”状態になってしまってる訳でもある。言い方を変えれば、“震災弱者”を優先するあまりに、本当の意味での“復興”が遠退いてしまったのである。これが、今の長田区や兵庫区の現実であり、その部分を見た上で、本当に神戸はあの震災を乗り越えたのかと問われれば、オイラからすれば、あの時のままで止まってるよ…としか答えられない。
そしてもう一つ、東日本大震災でも同じだが、一番重要なのは、単に更地の区画整備ではなく、集落ごと、地域ごとの細かい“コミュニティー”での移住や再建を行うべきであって、そのための集合住宅や宅地開発、そしてインフラ整備を進めるのが筋なのに、それをやっていないということである。つまり、あまりにも大きなビジョンで考える時に、最優先順位のつけ方自体が間違っているからである。何度も言うが、単純に“元の生活”に戻すだけではなく、そこから、どんな風に街を、集落を発展、繁栄させていくかが鍵であって、建物や道路がどんなに整備されても、そこから、どんな風に“カスタマイズ”するかまでのビジョンがないと、最終的には行き詰まってしまう。
これは何も、災害からの復興に限らず、すべてに言えることであり、あの震災以降、日本人は総じて“現状維持”にこだわりすぎて、本当の意味での“永続的な繁栄”を捨ててしまっているのである。もちろん、一つの答えとして“現状維持”を続ける事もアリではあるが、それだけで終わってるから、後続が将来に対して壮大な夢を抱えてても、それを途中で捨てざる得なくなる訳である。そう、失敗や衰亡を恐れるあまりに、誰一人として“冒険”をしなくなっただけでなく、いろんな意味で“ヤンチャ”して成功を収めた人を、どういう訳か妬むような心理に陥ってる訳である。ここまで卑屈になると、そら、未来そのものが暗くなるのは当たり前。要するに、大災害を目の当たりにして、そこからさらに一歩を踏み出そうとせずに立ち止まっているから、閉塞感に見舞われるのである。
災害に遭って、そこから立ち直ることは、非常に難しいことである。しかし自分自身が、そこから一歩、深く踏み込まない限り、何も変わらないのである。それが、さっきのオイラの答え“あの時のままで止まってるよ”に繋がるのである。どんなに泣き言を言いたくなっても、自分が先に進まない限り、何も変わらない…ただ、時間だけが過ぎて、置いてけぼりを食らうだけである。だからこそ、はっきりと言おう…前を向け、歩みを止めるな、未来を拓くのは、生きとし者だけに課せられた使命であると。

20年前の震災で亡くなった御霊に哀悼の意を、今を生きる我らに力を…南無。