迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

件の“厨二病患者”について

メディアでは“イスラム国”と名乗る組織って表現してるけど、宗教を愚弄し、好条件の取引を持ちかけても無視して“人質”を殺害し、そしてその“責任”を相手国の為政者に擦りつけている時点で、“国”を名乗る資格も、宗教…とくに“神”を名乗る資格もない、単なる“厨二病患者”でしかない。だからオイラは、こういう連中を今後、“厨二病患者”と呼ぶことにした。もちろん、まっとう(?)な“中二病”はごまんといるから、そことの区別をつけるために、あえてネットスラングで、大人気ないお花畑集団を指す言葉としての“厨二”と表記させることにした。その理由は、考えていることが、オイラには手に取るようにわかるからである。そう、コイツらは所詮、エエ歳こいてやっていることが全て“幼い”上に、一番の目的が、自分の居場所を誇示するために、相手との約束を破った挙句、被害者心理を巧みに使って、国際社会全体を破壊しようと画策してるからである。ぶっちゃけた話、過去の歴史を振り返れば、規模の違いはあれど、こういう連中は、必ず同じ過ちを繰り返し、そして、それが原因で壊滅するのがオチである。なぜなら、こういう連中の考えには、ある共通点がある。それは“絶対主義”と“単一化”である。もっとぶっちゃけると、“99の褒め言葉よりも1の侮辱”で動いてるからである。
最近の例で言えば、いわゆる“オウム事件”ってヤツも、この類の話であって、松本サリン事件からVXガス開発までの経緯の裏にあるのは、中心人物自身の“1の侮辱”からの報復であり、その、そもそもの“原因”は、貧困層で身障者ゆえの“僻み”である。つまり、社会を変革したくても、自身が視覚障害者である事と、それゆえに最高学歴となる有名大学への進学の道が、事実上“閉ざされている”という勘違いがベースにあり、有能な学生ほど、勉学は優れてても、一般社会的な概念には疎い…という部分を利用したまでに過ぎない。もっと言えば、宗教に関してある程度の免疫がある者ならともかく、勉強漬けで、息抜きにカルト雑誌を読んで、それを間に受けやすい人ほど、いわゆる“ハッタリ”にダマされる訳であり、また、頭脳優秀が“当たり前”になりすぎると、学業の成績だけでは褒めてもらえないどころか、むしろ成績が落ちた時に、そのことだけを責められると、それゆえに他の部分で“褒めて”くれる存在を求めるようになる…これが積み重なると、いつしかマインドコントロールされていって、“1の褒め言葉”のために動くようになる…言い方変えると、他人からの批判よりも、自分が仕えるべき“主人”のために命を捧げるようになる。宗教ではよくある話の様に聞こえるが、ここがとんでもない“勘違い”であり、一人の指導者の言葉が“完璧”だと信じ込んでいる以上、世間とのズレや社会との不和の原因がボヤけてしまうのである。宗教ってのは本来、社会を鑑みて、自分だったらどうするべきかを、先人たちの経験談や、過去にあった出来事を参考に、行動を起こすきっかけを作る場であって、そのための“参考資料”として、経典や先人達が残した記録などを紐解き、それを“教学”として学ぶ訳であり、そこから導き出された哲学から、信仰を深めるのがスジであって、信徒はそれゆえの“指導者”でなければならない。だから、本当に敬虔な信徒は、日々の鍛錬を、日常生活においても行う訳であり、その一つとして、いわゆる“おつとめ”をやる訳である。ここの部分を“キモい”と罵って、バカにしてる人ほど、実は“厨二病”になりやすく、ゆえに既存の宗教を“邪教”と称して、人々の純粋な信仰そのものをバカにした上で破壊する訳である。
いわゆる“共産主義”ってのも、そもそもはプロテスタント系のキリスト教哲学から来た発想であり、ぶっちゃけると“聖書至上主義”である。その原因は、カトリック系の聖職者自身が事ある毎に、信徒を“喰い物”にした経緯があり、そこに反発して、上下関係を取っ払った上で、参加者全員がそれぞれの得手不得手を補い合いながら、社会を構築する考えである。が、言葉にすれば非常に“美しい社会像”に思えるが、要は自分の才能を世間が否定した時点で役割が勝手に固定される仕組みである。ホレ、“種運”でザフトデュランダル議長が唱えた“デスティニー計画”ってヤツを覚えてるだろうか?アレの宗教版がコレであるw で、その“言葉”にダマされ、甘えた結果、軍人や役人が横暴な態度をとって恐怖支配をやった共産国家がどうなったか…そして、それを未だにやり続けている国家が、どんだけ国民を(あるいは隣国の民衆を)コケにしてるか、察しがついてる人ならお分かりだろう。もちろん、共産主義でないと“困る”国々もある訳だが、それは総じて民衆が貧困であっても、生活水準はアメリカの“支離滅裂な民主主義”に比べれば恵まれている部分もある訳で、一概に批判できない部分がある。が、いわゆる“失敗国家”に成り下がった共産主義国家とは、民衆と政府機関の信頼関係が著しく崩壊してて、かつ、民衆の憤懣を抑え込むために、その責任を、ごく一部の富裕層や、指導者に反感を持つ閣僚に擦りつけた上で、さらに矛先を近隣諸国に向けさす教育を行っている事が多い。逆に、共産主義の基本的理念がうまく作用してる国では、むしろこの逆で、国家運営の責任は、民衆の中心的指導者自身が担い、その信頼関係をもって、国民も指導者を支えるために協力するという姿勢を見せているし、まして近隣諸国に対して、国の方針として迷惑をかけないように指導してるトコが一般的である。(その一例が、キューバな訳で…)
だから、“厨二病患者”がやりたいことってのは、共産主義でも民主主義でもなく、主権者と民衆の不和であり、そこからの国家転覆、戦乱の世界へと導きたいだけである。で、その“きっかけ”として、たまたま取材や人道支援で立ち寄った人々を襲撃して、勝手に“人質”として政府機関を脅し、そして“約束を破ったのはオマエらだw”と言って、交渉の場に姿を現さずに殺してる訳である。だから、被害者家族には申し訳ないのだが、殺された事に関しての責任は、当事者自身であって、救助のために尽力した政府機関ではない。そして“国民一人も守れない政府”と罵ってもらう事が目的で殺害してる訳であって、そこでパニってはいけない…まして、自衛官や政府機関関係者、国際ボランティア組織の者であった場合、自分の信念をもって殉ずる仕事である事を肝に銘じなければならない。その“覚悟”無き者が、物見雄山で事件に巻き込まれたら、世界中に迷惑をかけることになりかねない。もちろん、メディア…報道機関として、現場の“実情”を報じる使命を背負っていることは重々承知の上だが、そんな事は、無事に“帰還”できる保証があってこその話。だからこそ、“取材”と称してホイホイと危険地帯に乗り込むことは、むしろこういう“厨二病患者”の格好の“宣伝媒体”にされてしまうだけであって、世界が混乱するだけである。何度も言うが、殺したのは殺人願望旺盛な“厨二病患者”であって、国連でも、国長である政府や王様でもない。そこを勘違いして政府批判、国王批判をするような輩は、“厨二病患者”と同じである。

犠牲者に対して哀悼の意を、世界を脅かす厨二病患者に森羅万象の理に則した制裁を。