迷馬の隠れ家 はてな本館

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アメリカが“イスラム”を憎む理由…

タイトルに関してぶっちゃけると、要はコレも“ヘイトスピーチ”の類であり、アメリカ人…というよりも、白人系キリスト教徒とユダヤ人の固定概念がそうさせる…と考えていい。つまり、イスラム教そのものが“共通の敵”であり、滅すべき“邪教”という概念があって、それゆえの教育を受けた事による弊害なんです。日本人の一部が、在日外国人…特に韓国・朝鮮人や中国人に対する不信感と一緒で。で、なんでそうなるかといえば、Twitterでも書いた通り、アメリカ人は総じて、“自由国家”であることを理由に社会共存のための概念が乏しいトコがあり、それゆえに社会共産主義に対して異常なまでのアレルギーを持っている…要するに、宗教概念による社会的共存のルールに束縛されることを嫌うあまりに、それで上手く国家運営ができている国々が羨ましいあまりに、そして、自分達で掲げた“正義”が揺らいでいることが、どうしても認める事ができないからである。それは、アメリカの医療情勢を考えれば、一目瞭然。
日本の“国民皆保険”という制度は、一定の保険料を税金の代わりに支払う事と引き換えに、高度な医療を受けても、国や自治体がその費用を肩代わりする社会保障制度の一端であり、少子高齢化で若年層の負担が増えたから、一部の高齢者にも医療費負担を求めてる訳であり、生活保護低所得者でも、最低限度の受診が可能なようにするには、それでも財政がヤバヤバだから、消費税を10%にすべきと理由付けしてる訳である。(表向きとしては、交通インフラの再整備や震災復興をいう言い訳も立つ状態だからこそ、難しい話なのだが…)で、北欧諸国の場合は国民の医療費や公共交通機関の利用、および未成年への学費は、原則無料である。が、その“代償”として、税率が非常に高い。それこそ、収入の半分以上が税金として吹っ飛んでしまうほどだという。だけど、それに関して子供の時からキチンと理由付けを学ばせているから、誰一人として文句を言わない。そして、イスラム教が一般的な中東諸国では、教義に則って、支配する王侯貴族が運営する企業の収益は、ほぼ全額、支配下の民に対する奉仕として活用される。ゆえに、貧困層であっても、支配下の民である以上は、医療費も光熱費も無料であり、地域によっては冠婚葬祭費も“国家予算”として支給されることがある。つまり、真の意味での“社会共産主義”を体現できているのは、イスラム圏のごく一部の国家であり、そういうトコは、大概の場合、未だに王侯貴族による支配がなされている。だが、さっきも書いた様に、貴族だからこそ、配下の民が満足できるような生活の補助を行うことが、イスラム教の教義にある以上、それを厳粛なまでに守っている訳であり、それを見ている民衆も、それに従って、自分の役割を果たすことが“国是の使命”となっている訳である。この姿勢こそ、アメリカが一番“気に食わない”部分であり、同じ理屈はアメリカ人の“反日感情”に存在する…つまり、天皇と国民の“信頼関係”こそ、彼らにとっては鬱陶しい訳である。
ただ…アメリカやフランス、ドイツなどの欧米諸国の歴史を鑑みて論ずると、そもそも、王侯貴族がエエ加減やったことが原因で、蜂起や反乱を起こして今日に至ってる訳であり、それゆえに“目に見えるカタチ”こそが唯一信用できるモノという概念に陥った訳であり、王侯貴族を排した以上は、その責任は自分自身にある事を肝に命じた国家運営を行わなければならなかった。それで今までやってきたことを誇りに思っているからこそ、未だに王侯貴族が国家運営を行っている国々が羨ましい反面、そういう国民性を“甘え”と見做してるトコがある。そして、共産主義の中でも、特に異質な存在である北朝鮮を批判してる背景にも、カリスマ的指導者一族による支配が“キモい”からである。が、見方を変えると、北朝鮮の場合、日本の皇族やかつての中国の王朝時代への憧れがあったからこそ、それを真似ているだけの話であって、本来の共産主義のあり方からかけ離れた状態である。逆に、キューバの場合、未だにカリスマな指導者が陣頭指揮を執っていて、しかも国民からの支持が衰えない事もあり、いろんな意味で“健全”な社会共産主義を体現してると言っていい。
話がかなり遠回りしたが、中東諸国において、イスラム教に則った社会運営は、土地柄上理に適ったあり方であり、キリスト教ユダヤ教が唱える“共産主義”のあり方に関して、一歩先行く運営を行っている訳である。それが悔しいからこそ、破壊しようと画策する訳であり、それが“厨二病患者”を生み出した“一凶”なのである。もっと言えば、ユダヤ人の歴史を考えた時、かなり身勝手で横暴な経緯が巡り巡って、イスラエルの問題に発展する訳で、正直、同情の余地がない。(とはいえ、ナチスによるユダヤ人根絶の発想に関しては、人道的な部分において許しがたい蛮行だったのは言うまでもないが…)だが、だからと言ってユダヤ人が、あるいはキリスト教徒が中東諸国の人々を侮蔑する権利もなければ、アラブ人がイスラムの戒律をバカにした事を理由に、欧米諸国で暴力を振るう義理もない。なのに、ついついそういう喧嘩が頻発するのは、子供心に学んだ、“大人達の態度”が全てである。罪は罪、人は人である…しかし、民族や宗教概念の違いからくる固定概念によって、その分別がいつまで経っても付けられないから、同じ過ちを繰り返すのである。だから、歴史を学ぶ事がすごく重要なのであり、民族学宗教哲学も、歴史的背景がわかれば、大まかな部分で理解可能な事である。これを無視して今まで来てるから、実はヘイトスピーチが止まらないのです。