迷馬の隠れ家 はてな本館

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突発的な“自死”を避ける術はあるか?

先週末、人気ジョッキーの後藤浩輝が、突発的に虹の彼方へと旅立った…あまりにも衝撃的で、多くのファンや関係者が混乱したのは言うまでもなく、昨日の葬儀でも、参列者の殆どが出棺と同時に涙したという。もちろん、自死したことに関しては、多くの人々に多大な迷惑をかける、決して許されない行為ではあるが、もしも自分が、その立場の存在であったなら、本当にそんな事を言えるほどの精神的な余裕があるか?

オイラは躁鬱を経験したことがないからわからんし、まして、自死を選ぶヒマすらない。生きるのに懸命だからではなく、生きてるからこそ、自分の存在感を残すために、日々を戦っていると言っていい。だから、ぶっちゃけ、“鬱は甘え”と辛辣な事を言いかねない。ただ…だからと言って、現状にめげて投げ出したくなる気持ちは、オイラだってよくある。(特に学会活動はな…w)だけど、本当に投げ出していいのであれば、その“後の事”を考えない方が気がラクかもしれない。なぜなら、自死を“選べない”一番の“理由”がそこにあるからで、自分がいなくなっても、世界はきちんと機能してるのであれば、我武者羅になる必要はないからだ。だから、気分的に罪悪感を抱え込むから鬱になるのであって、それを無視できる度胸と図々しさがある人は、絶対に自死を選ばないし、選べない…自死する価値すらないからだ。
逆に、なんで自死をするかといえば、オイラが考えるには、本当の意味での“孤独”に耐えられないからと、他人に対する不信感から、精神的な拠り所となる場所がない事、そして、自分の素直な気持ちに対して疑心を持ってしまってるから…と、オイラは感じている。自死した多くの著名人は、このどれかがあてはまるかと思う。それじゃ、そういう人達を死なせないようにする術って、本当にあるのだろうか?オイラには、それは“ない”としか言いようがない。なぜなら、言葉や行為ではなく、魂そのものが既に“尽きてる”から、その拠り所、入れ物たる肉体がそうなると考えると、延命ではなく“蘇生”のために、当人の離れかけた魂を詰め直す術がない以上、どうすることもできないからだ。心が“死んでいる”状態で肉体が生きてても、肉体や心が暖かくても魂が抜けた状態だと、いずれ帳尻を合わせるための“行為”をやるのは必然的だとすれば、これもある意味の“尊厳死”として取扱うべきであって、止めてやる事ができなかったことを悔やむより、同じ心理状況にある者をどうやって救うべきかに心血を注ぐ方が、故人を悼む意味でも重要となる。つまり、この“悲しみ”を忘れないように、そして、自分の目の前でそれが繰り返されないようにするには、自分がどうあるべきかを学ぶことが肝心であり、そして、自分は誰のために“犠牲”になれるかを考えた方が正しいと思う。言い方を変えれば、自分の人生を棒に振ってまでも、目の前の“他人”の命を救うことに対する覚悟があるかどうかだ。
同時に、自分がどうしようもない状況に陥って、何もかもを投げ出したくて自死を選ぶのであれば、自分の事に構ってくれる人達に対して、どれだけの“嘘”をつけるか、あるいは、どれだけの真心を踏みにじる度胸があるか、自分に問いかけるだけでなく、親しき人との間でも議論しておく事が重要になる。相手が本当に自分のことを“仲間”として捉えているのであれば、その疑念に対してどう対処すべきか…ここで全てが決まる。当然、自分自身も相手を“仲間”として受け入れている以上、それゆえの“責任”を負う事になる。それを“迷惑だ”と思うのであれば、目の前で自死したとしても、文句や恨み節を言う資格はない。逆に、自分の方が“迷惑かけた”と責任を感じてるのであれば、その感情は“間違い”である。なぜなら、本当に“迷惑”だと感じてるのであれば、それゆえに指摘してくれるし、場合によっては感情的に叱ってくれる…誰かに叱ってもらえるのは、生きてる間だけの特権であって、死んでしまったら、たとえ魂だけが自分の傍にいたとしても、直接言葉で、あるいは拳で叱りつけることすらできない。そう…本当は叱って欲しくて、それをやったのであれば、こんな愚かで、悲しい話はないじゃないか。こういうSNSやBlogで記事として書いてたとしても、本人を叱ったことにならないどころか、自分自身が惨めだ。
だからこそ、もしも“闇”を溜め込み、魂が抜けている様な状態の人がいたら、単に“頑張れ”と声援をかけるだけでなく、“一緒に行こう”と呼びかけると同時に、相手がどんな迷惑をやったとしても、それを丁寧に受け止め、“大丈夫だよ”と言ってやる事が、本当は救いの光なのかもしれない。遺書を書いて自死する人は、単なる甘えだが、突発的な自死は、本人だけを責めてはいけない…拠り所になってやれなかった自分にも、その責任の一端はあるからだ。

虹の彼方へ逝ってしまった者に哀悼の意を、遺された家族に安寧なる幸福を…南無