迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

物事を“逆さま”に見ると面白い?!

ひねくれた感覚を持っていると、どんな“綺麗事”も“汚物”にしか見えない…例えば、世界平和を唱える上で、基本的人権と民衆主権が鉄則なのに、なぜか宗教の違いや民族の違い、さらには職種や学歴による格差からの貧富が生じる事を嫌う人が多い。ぶっちゃけだが、貧富や学歴の格差は、ある意味当事者の努力次第で、ある意味どうにかなるが、民族に関しては、その風土と歴史を鑑みた時、どうする事もできない部分が多々ある。が、その“違い”を認め、互いに支え合う概念があれば、それは軽く超越できる。しかし、そういった事がわかってても、それができないのはなぜか?その答えは単純…当事者以外の誰人たりと“頂点”に立ってはいけないからである。もっと言えば、“俺、王様。お前、奴隷。”がまかり通ると、それゆえに摩擦が起きる訳である。だって、相手だって“同じこと”を考えてやってるからねw でも、正しい“主従関係”とは、自分“が”認めた存在と、自分“を”認めている存在との信頼関係あってこその話であり、対等な立場と価値観によって成り立っている。逆に言えば、双方が疑心暗鬼だと、それは“主従関係”とは言えない。下世話で悪いが、俗に言う“SMプレイ”も、受け手と攻め手の信頼関係があるから、互いが傷付く様な行為に及んでも双方納得の結果であり、いろんな意味で問題がないのであって、そういう事が理解できない相手とやれば、当然だが警察沙汰になる。
今日、姫路城修復完了記念にブルーインパルスが祝賀飛行を行ったんだが、コレに対してどこぞのアホな市民団体は、軍事行為だと抗議したらしい。だが、ちょっと待て…それなら姫路城も、そもそもは播磨国の拠点であり、古の“軍事施設”である。それを取り壊さずに、しかも国宝&世界遺産として認定し、保護してる時点で“本末転倒”ではないか?それに、ブルーインパルスは確かに航空自衛隊の部署だが、専門はあくまで航空ショーなどでの曲芸であって、使っている飛行機も、戦闘機としての機能は“装飾”程度で実用性がない。つまり、使っている機材や隊員が“自衛官”だからイチャモンつけてるだけで、キチンと調べて考えれば、こんな言いがかりをしてる時点でお察しである。仮に、民間の曲芸飛行チームがあったとして、その芸を披露するのに、現行の航空法や関西圏内での空の交通事情を踏まえると、簡単に依頼できないだけでなく、使用機材の1機当たりのコストがバカにならない…参考までに、ブルーインパルスが使っているT-4訓練機は、購入するにも40億円もする金食い虫…もとい、非常に高価な機体で、しかも純国産ジェット機である。(製造元は川崎重工、ちなみにエンジンもIHI製…)つまり、日本の製造業に対してまでも、イチャモン付けてバカにしてるのと同意である。
一昨日、フランス南部で起きた旅客機墜落事故でも、LCCだからエエ加減な整備して…と、バカにしてる人がいる様だが、大手であるエールフランス日航だって、墜落事故はやっているし、今回の事故った航空会社(ジャーマンウイングス)の親会社はルフトハンザ航空である…つまり、一流だからとか、格安だからとかではなく、航空機の事故は、ちょっとしたヒューマンエラーから大惨事に繋がる訳であって、どの航空会社であっても、一度墜落事故が起きれば、それだけで信頼が失墜するのは当たり前であり、同じ事は、どの交通機関を使っても言えること。JR西日本の宝塚(福知山)線脱線事故も、一番の原因は当該運転士の焦りからくるオーバーランによる遠心力でアルミボディの車体が浮いたことと、その重力加速度によって近隣のマンションに突っ込んだがために大惨事になった訳で、だけど、その遠因は異常なまでの無茶振りを要求した会社組織自体であり、さらに、速度や時間を重視した利用者自身である。この件に関しては裁判を何度やっても、当時の経営陣は無罪を主張するし、被害者遺族はその責任を追及し続けるだろうが、ぶっちゃけ、一番の被害者は事故に巻き込まれたマンションの住民であり、他の利用者やJR西日本以外の鉄道会社自身である。だから、ほかの鉄道会社とて、JR西日本の事故は“対岸の火事”ではない…阪急今津線のワンマン区間(西宮北口〜今津)は、かつて、阪神今津駅の構内を間借りするカタチで運用してたが、ある時、車両が暴走した挙句、阪神久寿川駅まで乗り入れて大破した事故をやったことで、駅そのものを分離した歴史がある。近鉄奈良線では、戦後の物資不足が仇となって保安装置を簡略化したために生駒トンネルから大暴走して、先を走る列車と衝突する事故をやっている。況や、高速バスでも運転士の過労死からくる事故があったぐらいだから、正直、バカにする筋合いはない。話を戻すと、今回の墜落事故は、未だ不確定な部分が多すぎて断定はできないが、報道の予想が正しければ、操縦士のヒューマンエラーである確率が高い…但し、他の要因もあるから憶測でしかないが、事故に巻き込まれた乗客と、その家族は気の毒でしかない。
結局、人間は“俺様エラい”になりすぎて、周囲が見えなくなると、どんなに自分が掲げた“正義”が優れていても、誰からも支持されずに“暗黒面”に落ちるという事だ。創価学会憎しで宗教批判をするならば、それゆえに他宗派の優れているトコと“暗黒面”を比較する必要があるし、学校法人に宗教者が絡むと…と批判するなら、他の有名私学も同様の話がある事に気付かないといけない。(天理高校や大学は、そのまま天理教の学校法人だし、龍谷大は浄土真宗、駒沢大は真言宗関関同立はいずれもキリスト教だし…)他人を批判する人の多くは、単純に自分自身の“劣等感”に負けてるからこそ、ある意味、他人をバカにして瞬間的な優越感に浸りたいだけで、己を鍛えようとは思わない。常に鍛錬を積み重ねる人は、バカにされる部分が多いほど、否、ほかの技能を犠牲にした数だけ己の才覚を研ぎ澄ました達人となる。だけど、そんな才覚ある人ほど、凡人を羨む…なぜなら、一芸に秀でていても活用範囲が狭いと“役立たず”と罵られるのがオチだからである。だからこそ、互いの価値を認め合い、共存するための意思疎通が不可欠になる。今の疑心暗鬼の“原因”は、情報に惑わされ、自分の目の前にある“真実”を見てないからこその話。様々な情報があっても、自分の確固たる“拠り所”がある以上は、惑わされてはいけない。但し、だからと言って“自分の常識”に固執する必要性はない。その柔軟な感覚こそが、事柄の本質を見抜く重要な部分であり、そして、卑屈になった相手を諭す、唯一の手がかりなのです。