迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

いじめと自殺の“因果関係”を考える…

中学生がいじめを苦に自殺するのは、よくある話…しかし、鉄道への飛び込みは、新幹線で焼身自殺以上に同情できないな。だが、この件に関しては別の機会にするとして、ここでは自殺に至るようないじめが起きるメカニズムについて。
ぶっちゃけ、“いじめを苦に…”という文言での自殺は、学校だけに限った事にあらず。社会人になっても、いわゆるパワハラやセクハラ等がきっかけで、あるいは、出身地や学閥といった目に見えぬカーストによって引き起こされるケースがあるんで、正直、ケースバイケースなトコがある。が、根本的に、自殺する人の心理は、精神的な疲労が限界に達してる事や、適切なストレスの捌け口がない事が一因になっている。そして何より、自殺願望が強い人ほど、実は“人間不信”という袋小路に嵌まっている事が多い。つまり、心理的に“信じられるモノ”がないのだ。
逆を言えば、どんなに世間から冷遇されようと、罵詈雑言の嵐に遭おうと、タフな神経の持ち主は、どんないじめを受けてもケロっとしてるモノであり、また、自分だからこそのストレス発散の術や、宗教哲学から自分の心理を分析し、冷静さを保つ事ができる。つまり、確実に信じられる何かがある人ほど、どんな苦難にも耐えられる訳で、確信に至るモノである以上は、それが潰されない限り、立ち直る事ができる。が、その確信が揺らいだり、物質的な豊かさや、五感で実感できるモノ以外信じる事ができないとなると、それゆえに精神が病んでくる。これが破壊衝動に駆られ、あらぬ方へ向くと、とんでもない事になる訳で、自殺行為は、その一環と言っていい。つまり、自分の“存在”に関して、自分自身が勝手に“不要な存在”と思い込むあまりに、そして自分の存在を永遠に加害者、および自分に関わる関係者全員に植え付けるためにやらかすのがメインであって、死ぬ事自体が目的ではない事も着目すべきことである。言い方を変えれば、大概の場合は“ジコチュー乙”な行動と言っていい訳である。
仮に、自殺を止める事ができたとすれば、それは、自殺志望者自身の“敗北”であり、死ぬよりもっと辛い目に遭う事を意味する。また、自殺が成功しても、誰も気に止める事なく忘れ去られれば、これほど惨めな話はない。だから、自殺を実行するにあたって、精神疾患から突発的なモノ以外は、精神的に“構って欲しい”サインを発してると考えていい。なぜなら、自分という“存在”を忘れ去られる事が辛いからこそ、自分の命を粗末にしてまで訴える訳である。これほど厄介で、気持ち悪い心理はない。逆を言えば、自殺を“誰かに止めてもらう”行為は、自殺志願者自身が一番望んでる事であり、そして、それによって“命の恩人”に擦り寄る事を意味する訳である…こう記述すると、大概の人は“甘ったれるなw”と言いたくなるだろうが、ここで考えて欲しい。自殺志願者は“何を欲してる”のか?
精神疾患からくる、突発的なモノは感知できないが、言葉で“死にたい…“と呟く者は、大概は他人に対して“助けて”と正直に言えないから、どうしてもそうなるのであって、勝手に自分の世界観が壊れた事や、思い通りにならない事を不満に感じてる程度であれば、とりあえずSNSで恥を晒せばどうにかなる事が多い。が、本気で自殺を考える人ほど、自分自身の恥を掻きたくないという潔癖性が多い。だが、構って欲しい人の場合、どんなに恥を晒してても“無視される”という恐怖があるから、どうしても派手な死に方を選ぶ傾向にある…自分の存在を“永遠”に覚えてて欲しいからだ。だが、ちょっと待て。それだったら別に、他にやる事あるだろうが?
死んでから名を挙げても、喜びや悲しみを感じる事はできない。単に“死んだ”という事実のみが残るだけ。本気で自分の存在を、この世に留めておきたいのであれば、どんな生き恥を掻いてもいい…なぜなら、その“想い”を引き継ぐ人がいる限りは、世代を超えて永遠に残せるからだ。どんなに些細な社会貢献活動も、賛同する人が一人でもいれば、そこから様々な方面に影響を与え、その行動そのものが、全人類の共通した“常識”として残れば、それはそれですごい価値ある行為である。でも、そうなるためには非常に時間がかかる訳で、評価されなければ、そこで終わってしまう可能性もある。それが“気に喰わない”からと言って、短絡的に自殺を選ぶのであれば、これほど愚かな行為はない。特に18歳未満の自殺であるなら、尚の事である。まして社会人になって、世間全般に不満があるからと暴力振るうバカがいる訳で、こういう連中は、考えが幼過ぎる。まして、自分が勝手に描いた世界観が“完璧”すぎるモンだから、ちょっとでも歪さを感じると、それが許せない訳で、それゆえに社会に対して牙を向く訳である。その方向性が、自分に失望して自決するか、不特定多数を巻き込んで殺戮を行うかである。
よって、自殺したいほどのいじめに遭ってる人とは、自分の価値すら捨ててるバカである事が多く、それを諭してくれる存在が一人でもいると、そこから立ち直る可能性がある。それでも“死にたい”と思う人は、そういうカウンセラーに対して“迷惑をかけている”という、どっか思考がぶっ飛んだ“自覚”がある。そういう人ほど、自殺する時は、自分の亡骸を発見するまでに時間がかかる方法を選ぶし、他人の手を煩わせないように用意周到である。逆にそうじゃない人は、寸前までに“察して欲しい”という意思表示をやっている。そこを見落とさなければ、大概はなんとかなるのだが…昨今の大人は、自分の子供に対してまで時間を割いて、人生を諭す会話をしなくなった事が、重篤な事件を誘発させているように思えて仕方がない。で、自分の主義主張を通すために、我が子を人質にして抗議してるのを見て、子供が気の毒で仕方ない…どんだけ忍耐力が落ちたよ?