迷馬の隠れ家 はてな本館

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今も昔も為政者は見栄っ張りw

2週前に放送された“ブラタモリ”で、奈良の平城宮がなんで広大な敷地…しかも平坦な地形に造成されたのかという件について、OP部分でサラっとやってた訳だが、これは何も、古代史に限った事ではなく、現代でも同じである。そう、東京五輪誘致後に、国立競技場の建て替え工事で莫大な建設費を承認したという話でも、それは何を意味するかといえば、古代から為政者ってのは“何も変わっとらんw”という事である。ぶっちゃけると、要は世界中に自分達の“偉大さ”を誇示する為に、とにかく相手の度肝を抜こうと、無駄にデカい建物や区画整備をやる訳で、それに対して民衆がどう答えるかによって、その意味合いが変わってくる訳である。
現在、こういった莫大な資金を費やして何かプロジェクトをやろうとすると、その“見返り”を要求する人が多い。これはある意味、自分がその“計画”に関わった明確な“証拠”が欲しいからであり、また、後世に自分の名を残せないと恥ずかしいからという心理が働いているからである。しかし、古代の人々は、こういった壮大な計画の下で、そういった“個人的な見返り”を求める人はいただろうか?史実だけで考えれば、それは皆無に近い。そして、古墳や遺跡の発掘調査で、建造物などの遺構や部材を精査した時に、落書きっぽいモノを見つける事がちょいちょいあるんだが、これは一体何を意味するか?ここからはオイラ的な推測だが、落書きの殆どは、後世にまで残そうという意図はなかったモノと思われる。が、本気でそうであるなら、わざわざ建築部材や壁面なんぞに印を残そうなんて思わない。つまり、これらは単なる“落書き”ではなく、名も知らぬ人々が、後世に対して“ここにいる”という意思表示で残したと考えたほうがスマートではなかろうか?で、なかったら、わざわざ記録を残す必要はない訳であり、歴史的な文献や建造物にあるそういったモノは、おそらく、後世に対して“いつの時代のモノだよ”と示す目印になっているのであろう。
閑話休題。つまり、古代史や中世史の文献や遺構から分かる事は、民衆にとって、壮大なプロジェクトに参加する事は、ある種の“催事”であり、そこでみんなと一緒にやっていく事が主なる目的であって、その為のきっかけとして、区画整備事業や周辺地域開拓事業などの地域・自治体単位での公共事業があった訳で、しかも古代史の時代は、ちょっと山の中へ、あるいは、海辺へ出れば、大量の資材を簡単に集める事ができた時代である。(と、言っても、当時の土木技術を考えると、現代のように機械を使えた訳じゃないから、結構苦労が絶えないと思われるが…w)そして、いわゆる専門技術者がそれでメシを食えた訳じゃないんで、必然的に国からの事業計画がないと、他の人同様の仕事しかできない事を意味してた訳であり、むしろ一般人のほうが“優秀な人材”だった可能性があった。そういった事を踏まえると、いかに古代の人々は、現代に比べて贅の限りを尽くし、そして、後世にまで“自分達の偉業”を残そうとしたか、頭が下がる想いである。
史実の上では、プロジェクトの責任者や指揮官の名前しか出てこないが、そこに携わった人々は、個々の名を残す事よりも、全体像での遺構を残す事に心血を注いだ…今の人々は、自分の名を残そうとするあまりに、自分が思い描く世界観以外は“不完全”という概念がまかり通っている。だから、昔の人よりも今の自分を良く見せようとして、遺構を潰したり、歴史を改竄して自分に繋げようとする。ぶっちゃけ、それって“自分否定”ですわw 歴史とは過去から未来へ続く時間編成の一部でしかなく、しかも、現在すら一秒後には“過去”になる。その繰り返し、積み重ねが“歴史”を構成する主幹であり、その裏付け記録として、様々な史実や遺構がある。それをどう読み取るかによって、歴史は様々な“パラレルワールド”を展開するのであって、一つだけが“真実”とは限らない。だが、大雑把な部分を見た時、どんな地域であれ、どんな時代であれ、人間がやる事は、大概似たり寄ったりな傾向に落ち着くのがオチであるw 巨大な建造物の“黒歴史”ってのは、案外、どこにでもあるモンなのです…それを否定するか、認めてやるかによって、評価そのものが変わる訳でw