迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

差別を叫べば思うツボw

Twitter上で、また、中韓においてどうのこうのといった意見を記述してる人がいるようなんだが、それを言えば言うほど、当の連中の“思うツボ”です。なぜなら、その“差別表現”を公表して嫌韓・嫌中を叫ぶ事は、彼らに対して“ほら、日本人はクズなんだ”という事を世界中に言いふらすきっかけになるだけでなく、日本は“既に中国or韓国のモノw”と言わしめているのと同意であるからです。何度も言いますが、これこそ“摂受・折伏時に拠る”の法則です。相手がそれ(差別発言を助長する事)を“望んでいる”訳ですから、それに対して乗っかる事ほど、冷静さに欠けた迂闊な行為です。クソ腹立つのはわかりますが、そこを冷静に、そして笑い飛ばしてやる事で、ブーメランにする事ができるのです。屈辱を与えたつもりが、自分が赤っ恥を掻くハメになる…つまり、文化や習慣の違いを逆手にとってヘイトクライムを助長してるのであれば、それを発言した人自身の破廉恥さを哀れみましょう。“ここはドコですか?”ってねw
同じ理屈は、白人迎合主義を“正義”とする概念のみで、あるいはキリスト教カトリック派こそが“聖教”だというだけで、黒人や他宗派の事を侮蔑していいという“道理”であり、それが“間違っている”と指摘すれば、そういう思想に迎合し、妄信的になった人々によって迫害を受ける事になる。が、その暴力をふるう人にとって、理由なんてのはどうでもいいのであって、単に自分にとって“敵”として討つべきだとする“都合のいい理由”として利用してるだけに過ぎない。これ、件の中東厨二病の連中と同じで、結局は自分にとって“都合の悪い存在”を排除するために“歪んだ正義”を掲げて暴れるのです。この“道理”国会前でデモ行進したり、道路封鎖してる連中も同じなんです。当然ですが、安倍政権を何とかして潰し、手柄を欲する連中と結託してるマスメディアも、そういう騒ぎに担がれる著名人も該当します。
しかし、そんな彼らに対してしっぺ返しする術を知っていれば、恐れるに足りません…だって、自分の“正義”に酔いまくって、周囲が見えてませんからw 一つの思想が自分にとって理想的であり、そして魅力的に思えば思うほど、その“裏側”を知ろうとしません。なぜなら、それを知れば、とても都合が悪いからです。このはてダで何度もやってますが、永世中立国を謳うスイスは、国民皆軍人な国ですw しかも国民自らが徴兵制を支持してるほどです。そして、スイスの外貨収入を支えているのは、観光や酪農は“表向き”の話で、実質は欧米諸国の傭兵部隊に属しての出稼ぎです。故に、戦地で同じスイス人同士が激突する事は、歴史上では日常茶飯事で、それで殺し合う事に対しては、“恨みっこナシ”が原則ですw また、“軍隊を有しない”とされるバヌアツ共和国は、その役目は警察が一括で行っている。つまり、軍隊を有しない代わりに、その権限は警察が代行してるのであって、装備も他の国の警察とは一線を介している。言い方を変えれば、自分達が作った法律に抵触しない様にするために、表向きだけは“軍隊に非ず”と申しても、実質は“警察=軍隊”という形態をとっているだけです。同じ理屈は、実は自衛隊にも言える訳であり、憲法9条で定める“戦争放棄”という文言を守るために、取扱上はバヌアツ同様に“警察の別系統”扱いです。
この他にも、英語には“ジャップ”という言い回しがあるが、これは日本人、および日系人に対する侮蔑用語であり、特にアメリカの反日感情がある人は、たとえ中国人や韓国・朝鮮系の血筋でなくても、よく使う言葉です。まして、先ほども申した通り、一部のアメリカ人は“白人至上主義”ですから、様々な侮蔑用語を用いて挑発します。黒人相手に“ニグロ”と言ってみたり、韓国・朝鮮系に対してはそのまんま“キムチ”と言ってみたり…日本でも“バカチョン”とか“シナ”という言い回しをする様に、他の国でも他国からの移民やその血筋を愚弄するための“差別用語”は存在します。しかし、それを言われていちいちムカついていたら、それこそ侮蔑してる人の“思うツボ”です。けど、その言葉を聞いても平気な人には、全く通じない皮肉もあります。それこそ、文化や風習の違いだと受け入れられる人の寛容さです。日本人は、非常に柔軟な発想を持つ民族です。
真の意味で“寛容な人”は、まず、相手の文化や風習の違いによる侮蔑を笑う事ができます…なぜなら、彼らが属する“本国”ではないですからw 自分の本国で、しかも、相手の言い分がわかる人であるなら、こんな悪口を言われても、“ここドコだっけ?”と惚ける事ができます。逆に、自分が他国に行って、謂われなき侮蔑を受けても、“これは自分が外国人だから”と開き直れます。ムキになって、自分を正当化しようと思う事より、相手の無知さ加減を哀れむには、相手が行う侮蔑行為を、逆に利用するほどのズル賢さが不可欠です。ぶっちゃけ、イチイチそんな事に目くじら立ててたら、どんな言葉(言語表現)も“侮蔑”になります。