迷馬の隠れ家 はてな本館

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真の敵は“正義”なのかもしれない…

本来であれば、昨日の段階で更新すべきトコだったが、何せバイトが忙しい&この酷暑であるw 更新作業中に、愛機のMac miniよりも先に、オイラ自身の脳みそが熱暴走しかねないんで、この時間にする事にした。
今回の本題、言うまでもなく、広島と長崎の原爆投下から70年という節目であり、それは同時に、人類史において初めて“被爆者”という言葉と存在が生まれた時でもある。すでに被爆生存者自身、80歳以上と高齢になられ、しかも殆どが当時子供だった事もあって、記憶が曖昧な状況での被爆ゆえに、話を聞き出せたとしても、かなり“盛ってる”フシがあったりする。これは致し方ない部分であり、それだけ、時間が経過してしまったという事である。と、同時に、被爆者が今も存命であるという事は、放射線過剰被曝状態であっても、却って長寿になるという“可能性”をも示唆している部分とも言える。ま、この件については、あまりに不謹慎な発言に思われるだろうが、事実、オイラの実家家族の知り合いに、広島や長崎で実際に被爆したのに、なぜか健康体で居られる人がいたりする。(冗談抜きでね…w)そこんトコを踏まえると、福島の原発事故で目くじら立ててる連中の不勉強さ加減が知れてる訳で‥
閑話休題、今年、ロシアの一部有力議員が、この70年前のアメリカがやった事について、日本に原爆を落としたのは、単にアメリカの軍事力を旧ソ連に対して見せつけるための、非人道的パフォーマンスだと糾弾する声明を出したが、内容に関してはわからんでもないが、そこは“お前が言うな!!”である。こないだのウクライナ侵攻の際にプーチン大統領が“核使おっかなぁw”ってほざいた事を、よもや忘れたとは言わさん。だが、アメリカが日本のこれ以上の反撃を恐れ、壊滅させるために原爆を投下したという事実がある以上、方向性はともかく、これは日本人は怒ってもいいと思う。要するに、戦争ってのは、自分が掲げた“正義”に酔いしれ、周囲の状況を把握できないままぶつかりあった喧嘩であり、そして、自分の意のままにならない事を“悪”と決めつけた挙句、完全壊滅するまで蹂躙する行為であるという事である。但し、あくまでも、一方的な理屈であって、戦争を行うにも、その相手となる国が防衛を行わない限り、それは単なる“侵略”として、世界中から非難される事を意味する。憲法9条がある以上日本は他国から攻め込まれないという“錯覚”は、この部分を指していると思われる。だが、残念ながら、旧ソ連終戦間際に日本と交わした不可侵条約を破棄して侵攻した挙句、北方四島南樺太を制圧し、国際法違反なシベリア強制労働を日本人捕虜に行っているし、中国に至っては、勝手に戦勝国気取りで周辺国領海を侵攻しているのは言うまでもないし、中ロの“最終目標”は、日本全土を手中に納める事にある。当然、その先には、彼らが一番憎む相手、アメリカがある…ぶっちゃけ、日本がいくら憲法で“戦争放棄”を謳っていても、現実は周辺国が軍拡をやっている以上、そして、憲法9条にかこつけて“反撃されない”事をいい事に、やりたい放題やっている以上、いつ日本に“流れ弾”が当たってもおかしくないのである。本気で憲法9条を守りたいのであれば、むしろ周辺国に対して即刻の“武装解除”を求めるべきであって、政府に対して“安保反対”などと文句垂れるのは、お門違いも甚だしい話である。
何よりも、世界中が核兵器を持ちたがる背景には、核兵器があるからこそ“無用な諍いは避けろ”という意思表示であり、万が一、それを使えば、自分達が批判されるのは目に見えているからこその脅しである。たとえ自国の防衛のためといえど、一発でも相手国へ、あるいは無関係な第三国へ核を打てば、広島や長崎の“悲劇”は、繰り返される事になる…それがわかってても、やらざる得ない状況に追い込んだのは、すべて“敵のせい”だと、自分が招いた結果に対する責任逃れを言う訳である。アメリカの70年は、まさにそれであり、今でも多くのアメリカ人は“日本に対する核使用は正義”という理屈で、原爆の悲惨さを“日本のせい”にして歴史を教えている。半分“正解”であり、半分“ハズレ”である事は言うまでもない。軍需工場や首都である東京に落としていたならいざ知らず、いずれの爆心地も、残念ながら“市街地”である。ゆえに、当時の広島市長崎市の人口のおよそ8割(数値に関しては、多少盛ってますが…w)が、あの瞬間に“消えた”のである。なにせ、当時の住民台帳すら、あの一発で消し飛んでいるために、詳細を把握する事自体、不可能であるからだ。もちろん、アメリカに核を使わせた日本の罪は重い…が、それを理由に攻め立てる理屈は、周辺国自体には何一つない。むしろ、そこまでして戦争に勝たないといけなかったのか…という疑念しかない。資源が乏しい日本の場合、ゆえに周辺国の資源調達を目当てに侵攻したトコがあり、それを批判した欧米諸国も、太平洋上にある自分トコの植民地を、過剰に奪われるのが気に食わなかった事もあって“防衛”という名目で、日本に攻め込んだまでに過ぎない。双方に話し合いの余地は、真珠湾攻撃の後でも充分にあったのに、それを阻害したのは誰だ?日本だけで見れば、旧陸軍が実権を握り、強引に戦争を推し進めた事にあるが、それを民衆が支持した原因は、軍部に擦り寄り、言論統制を恐れたマスメディアである。現代の既存メディアは、その“同じ轍”に堕ちようとしている。同じ理屈は、どの国でも同じ…悲しい事です。メディアが冷静さに欠いて、利己的な発言ばかりを取り上げ始めたら、それを見聞した民衆は、集団心理的に、その発言を“正しい”と認識しかねない。マイノリティー(少数派)であっても、公平に取り扱って、話を聞く耳を持ってこそ、初めて“対話”ができるのであり、一方的感情論から生じる“正義”は、結局は双方にとって“悪”でしかない。そこんトコを分かった上で、政府に対して抗議すべきであり、“数の暴力”を用いて“民主主義だ”と叫ぶのは、単なる“集団ままごと”でしかない。