迷馬の隠れ家 はてな本館

旅好き・馬ぐるみゃー・オジアナヲタクな主婦の、雑多なコンテンツですw

社会形成には、バランスが必要…

TPP問題で、一部の品目で未だに折り合いが付かずに、総括を明日に順延した様なんだが、こら、無理ないねw だって、そもそもTPP自体が、言い出しっぺのアメリカが、他国に対して“俺様至上主義”を振りかざしてダダ捏ねてる以上、決着付くわきゃないっしょw ニュージーランドだって乳製品に関する分野では、さらなる市場拡大を狙っれる訳だし、日本だって、ポップカルチャーを下支えしてる著作権に関する規制に対して、一部は条件的に飲めないし…世界が単一の国家であるならいざ知らず、そうじゃない以上は、どっかで妥協案を見出し、その条件を全員が飲まないといけない訳であり、それができないのであれば、最初っからそういう事をするべきではない。そもそも、なんで各国間での貿易において関税があるかといえば、地場産業の保護ってのと、国内での市場の安定を図る事が肝であり、粗悪品を売りつけて暴利を働こうとする相手を牽制する意味合いもある。つまり、こういう交渉事も、一つの“戦争”なのです。利害が一致し、納得できる条件を見出せれば、交渉各国との経済における和平を進める事ができるが、一つでも拗れりゃ、様々な嫌がらせの応酬になるのは毎度の事。
これは何も、経済の話に限らず、すべての事柄でも言えた事であり、難民や人権問題にしろ、政治的な判断に対する意見にしろ、どこかで“落とし所”を付けない限り、解決しないどころか、泥沼になるだけである。つまり、本当に中立なる存在の者がいたとしても、極左(革新)や極右(保守)な思考に走ってる状態では、自己の掲げる正義を中心としてる以上、話にならないのは当たり前。彼等の思考は完全に“中華思想”そのものですから、自分の意見に賛同するなら、何もかもが“自分色に平伏せ”な態度でモノを言うから、ちょっとでも間違いや矛盾を指摘する人は、たとえ相手が“仲間”として活動してる存在であっても、“裏切り者”として叩く訳です。“自分の意に反した”という一点だけでねw
難民問題の多くは、政治的不安よりも経済的不安が要因であって、自分が生まれ育った国よりも、為替レートの加減で低賃金でも自国で遊んで暮らせるような国があるなら、そっちへ行きたいのは当然の話です。中東や北アフリカからの難民の殆どは、国際的な紛争もさることながら、国内の雇用がない事も一つの要因になってます。言い方を変えれば、国内の政治的不安から、海外企業や国内の事業所が経済的に活動できないと判断すれば、海外流出や事業を打ち切るのは当然で、それによって職を失えば、当然ながら賃金(収入)がないからモノが買えない訳で、かと言って勝手に営農や漁業を行える訳じゃないし、そうなれば、新たな収入源を求め、あるいは何らかの保護を求めて彷徨うのは必然的な話。“失敗国家”と指摘される国々の多くは、国民生活を支える屋台骨そのものがボロボロな上に、どんな救済案を用いても、それゆえの不公平感から文句をダラダラ言うバカがいる限り、纏まらなくて当たり前です。逆に、憤懣があっても、ある程度の犠牲は仕方ないという認識がある人が多い国では、為政者がバカでもなんとかなるモンなのです。そう、日蓮が説く“民あってこその国”という概念は、まさにこの事なのです。
しかし、中華思想…この場合はジコチュー的な意味合いで考えてもらえれば分かるかと思うが、そういう“偏った概念”で物事を見る人にとって、民衆…ようするに“他人”の事なんてどうでもいい訳であり、自分自身さえ残れば、国という器を保てると勘違いしてるトコがある訳です。世界とは、様々な可能性があり、それ相応に適応したモノだけが、それぞれの立場を超えて手を取り合い、協力しあって成り立っているモノです。だけど、ジャイアニズム中華思想にかかれば、すべては自分が中心であるための“捨て駒”という概念でしか、相手を見る事ができません。ゆえに、難民の対する優遇措置を悪用する者がいる事を知ってる人が、全く関係ない外国人相手に暴行を加えたり、身障者を勝手に“役立たず”とみなして雇用条件で制限したり、“男尊女卑”の本意を知らずに女性に対して見下すアホがいる訳です。あ、先に断っときますが、“男尊女卑”ってのは女性を守る為の方便であり、元来であれば、女性や子供を身を呈して守るのが男性の仕事であり、疲労困憊で倒れ込んだ時の“癒しの場”であり続けて欲しいからこその話です。今みたいにジェンダーフリーな概念で言えば、その“癒しの場”が同性であってもいいなら、こんな概念は生まれません。女性の体を触ったぐらいでセクハラと叫ぶのであれば、医療機関での乳癌や子宮頸癌などの女性特有の疾患に対する診療も、自然災害時において救護される時に自衛官がヘリやボート、ジープに乗せてもらう時の介助も、相手が男性であるのならば断るべきでしょうね。うまい具合に“女性であること”を利用したつもりが、却って自分自身の価値や存在意義を潰してる事に気付かない様では、話になりません。従軍慰安婦問題でもそうだが、女性の地位を向上させたいのであれば、むしろ、本気で戦争を起こさせない為にも、男性の前で“犠牲”になる事ですわ。不特定多数の童貞相手に枕仕事やれます?しかも、自らの意思でね…つまり、風俗店で女性が男性と絡む事を生業とするのは、他の職業に従事してる女性が、性欲に負けて暴走する男性に阻害される事を防ぎ為にいる“防人”的な立場です。その人達を、女性自身が何も知らずに見下す以上は、この問題、解決する事ありません。そして、そういう事にかこつけて偉そうな態度をとる男性は、更に最低な存在です。
喧嘩は、相手があってこそ成り立つ事であり、その“相手”がいないのに喧嘩をしたくても、できる訳がありません。それと同じで、どんな存在も、なんらかのカタチで自分と結び付いているという概念がある以上は、邪険に扱う筋合いは、どこにもありません。革新的な概念がいい時もあれば、保守的な概念の方が良い事だってある…何でもかんでも“自分が一番”だと思うのであれば、誰とも接しない事です。そうすれば、喧嘩もしなくて済むし、失敗した責任も、誰かに当たらなくて良い訳ですからw それができないのであれば、時として理不尽な行為を受けても、その分の見返りを、なんらかのカタチで要求する為の準備をすれば良いだけです。それを使わなくても良い様に、むしろ、そんな事は危惧で終わる様に協力関係を取り付けられるのであれば、何の心配もいらないのです。