迷馬の隠れ家 はてな本館

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ノーベル賞で一喜一憂する前に。

今年も憲法9条がノーベル平和賞を受賞することはなかった…てか、そもそも候補にすら登ってないのに、勝手にマスメディアを通じて、あるいはSNSを通じで騒いでるだけで、本当に候補として取り上げられているなら、政府の方から報告が入る。言い換えれば、本気で平和を望むなら、辞退するのがスジである…そもそも、アメリカが報復を恐れて付け加えたのがコレであり、それを守るのであれば、周辺国も武装解除を求めるのがスジであり、それができない以上、国際法である国連憲章に則って、憲法改正を早急に行うのが、日本政府の“責任”である。なぜなら、日本国憲法の“主権者”は国民全員であって、天皇でも、まして時の総理大臣でもない。以前にも解説したが、大日本帝国憲法下であれば、法の下の“主権者”は天皇であるから、戦争責任にしろ、公害訴訟にしろ、その責任はすべて天皇に擦りつけても問題ない訳であり、だから軍部が太平洋戦争で無茶苦茶な事をやりまくった訳であり、そして敗戦の“責任”を負う為に、不公平な国際軍事裁判で、自分の首を自らの意思で差し出そうとした訳である。
ノーベル賞そのものは何かといえば、ダイナマイトを開発し、特許を得て世界中に売りまくったのはいいが、それが戦争で使われ、多くの死傷者を出した事を悔やんだノーベルが、その特許で得た資産をすべて擲って開設した、苦労してる科学者を支援する財団が運営してるモノであり、世界に変革をもたらす発明や概念に対して賞賛するのが本義である。だから、科学に関する賞と文学に関してはスウェーデンで、平和賞だけはノルウェーで発表される。ここにポイントがある…他の賞に対して“平和賞”だけは、政治的背景もあって“別枠”としてやってるのであって、ぶっちゃけると、“ノーベル賞”という名を冠した“平和活動に対する賞”という意味合いがある。特に近年は、その活動に対する功績ではなく、今後の活動に期待しての意味合いが大きく、今回のチュニジア民主化運動4団体に受賞が決まったのは、他の中東諸国で起きた、所謂“アラブの春”は、余計に政治不安と混乱を招いたのと違って、それぞれの団体が協力しあって民主化へのプロセスを歩んでいる…と認識されたからこそである。
今でも王政を敷く国は数あれど、その殆どが民主化への移行に関しては、どっちか言えば民衆からの要望よりも、王族側から民衆に対して和平を求め、全権を委託する事で成り立ってる。何度もいうが、為政者と庶民の間にある“信頼関係”がしっかりしてるからこそ成り立つからであり、横柄な為政者と、疑心暗鬼な民衆が、双方の意見を聞き入れずに、啀み合ってりゃ混乱して当然。そして、それを見て国際厨二病が“正義”を掲げて国際社会を批判してるから滑稽である。特にアメリカとロシアの対立関係は、ここにきて“現在進行形”である事が露呈してるわけで、こんな状況で国連が和平調停に出れる訳がない。なんせ“常任理事国”自体が、自己の覇権を巡って啀み合ってるからねw(中国もだけど…)ぶっちゃけ、民主主義とは、国民が“主権者”である以上“国民総連帯主義”であり、その“代表”が首相や大統領なのであり、だから選挙の結果が全てになる。実は、共産主義は民主主義の行き着く先にある世界であり、議会制民主主義の“終焉の姿”と言って良い。“民主主義”である事が当たり前すぎて、誰も選挙に行かない、政治に関心を持たなくなれば、必然的に少数派の有権者…つまり、“選挙に参加した者”だけで物事が自動的に決められるようになり、それ以外は認められない世界へと変貌する訳である。これが、現在の中国や北朝鮮の姿であり、ロシアもかつてのソビエトへと戻ろうとしてるのは、そういう苦労を知らない世代が増えた事と、共産主義のほうがラクだと考える人が多いからである。ぶっちゃけると、国家の資金をアテにしてる民衆が圧倒的だという事だ。中東の文化や風習を考えると、安易な欧米流儀の“民主主義”が根付かないのは当然であり、“強き指導者”あってこその安寧な国家運営である事は、他の中東諸国…それもイスラム教の戒律に則って政治が行われている国々では明白な話で、頂点に立つ者自身が王族であろうが軍部の叩き上げだろうが関係なく、戒律に従って民衆を指導できる者でなければ、国家が乱れるのはいうまでもない。
だから、肝心な事は“平和”を維持するための手段は数あれど、これが“正解”という答えは、どこにも存在しない。だから世界中で模索する事が大切なのであり、一方的な感情のみで判断すると、余計に現場が混乱し、初心として掲げた“恒久平和”の道は、遠退くだけである。シリア情勢に関して、ロシアのプーチン大統領の意見は正しいが、だからと言って支持できないとアメリカが反発するのは、現時点ではナンセンス。まずはアサド政権であろうが国際厨二病だろうが、“シリアを安定させる事”に焦点を絞り、それに対して協力できる組織に対して支援するのがスジであり、アサド政権の“悪政”に対しては、その次の段階で糾すべきである。これはアフガンに関しても同じ。このままでは“アメリカのマッチポンプ”と揶揄されてもおかしくないのであり、今は腹立たしくても、アサド政権を支援したほうが有益だと判断したからこそ、ロシアとしては他の反政府組織も壊滅させる方を選んだまでにすぎない。どっちにしても、こういう情勢でゲラゲラ笑うのは、件の国際厨二病であり、彼等を“懲らしめる”のが主眼であれば、それこそ本気で国際法違反な行為に出ても、現段階なら理解可能である…そう踏んだからクラスター弾を使用したのであれば、これはロシアの“勇み足”である。当然だが、こんな“砂漠の劣国”に核を使用するのであれば、国際社会で非難轟々なのは目に見えた話である。(プーチンの場合、使いかねないんだよなぁ…本国での支持低下を防ぐ為にはw)順序を違えずに、しかも確実に実行するのであれば、反発はあれど“結果オーライ”になれば、誰も文句言えなくなる。ただ、当事者自身が勘違いするのであれば、その責任を負わなければならない…たとえ地図上から国がまるごと消滅しても。